一番歌~三番歌 に込められた意味は、、


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小倉百人一首は、いつ編纂されたの?

小倉百人一首は、平安末期から、鎌倉時代初期にかけて活躍したお公家さんの天才歌人、藤原定家が編纂した和歌集です。京都の小倉山という場所で編纂されたことから、小倉百人一首と呼ばれるようになりました。

和歌の素晴らしさって、どんなところにあるの?

和歌は、三十一文字の中に、沢山の複雑な想いを読み込む作品です。一文字一文字を熟考しこだわり抜いて作ります。一番言いたいことは、敢えて言葉にせずに、言わないことで、相手に自分の想いを悟ってもらうという高尚なうた。

相手は、歌の真意が分かった時に、心の中に大きな衝撃が走り、感動に包まれます。

和歌の醍醐味は、このようなところにもありますね。

百人一首には、一番から番号があるけど、どんな意味があるの?

百人一首の順番には、どんな意味があるのでしょう。

そのヒントになるように、一番歌から三番歌までみてみましょう。

ここでは、小名木義行氏の『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』を元にお話してみたいと思います。

■一番歌は、天智天皇の御歌です。

「秋の田の かりほの庵(いお)のとまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」

天智天皇は、皇子時代に大改革を断行し、皇太子としてわが国の独立自尊を成し遂げ、これを定着させて第38代天皇となられた偉大な天皇です。

その偉大な天皇が、民と一緒になって田植えをし、刈入れをし、ワラを干し、干したワラでゴザを編んでおいでになる。それも、「露に濡れる祖末な庵で」「わが衣手」を「露」に濡らしながら、朝早くから夜遅くまで率先して働いておられるのです。

このお姿を知れば、私たち庶民は、やれ暑いだの寒いだの、雨に濡れるだの手が汚れるだの、我儘なんて言っていられません。とにかくみんなと一緒に黙って働くしかない。これが君民一体です。そういうありがたい歌が、百人一首の一番歌です。

■二番歌は、持統天皇(じとうてんのう)の御歌です。

この歌はとても有名ですので、知っている人も多いと思います。

「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山」

この御製は女性天皇である持統天皇が、みずからの御手を濡らして洗濯をし、初夏の気持ちの良い川の冷たい水で、おもわず真っ白に洗濯できた気持ちの良い洗濯物を干しながら、遠くに見える香具山に、なくなった夫である天武天皇を見立てて、「あなた。私、今日もこうしてがんばっているわよ」と詠んだ、労働の喜び、天皇自らが働く日本社会の素晴らしさ、夫婦の愛を高らかに謳い上げた名歌です。(小名木氏解説)

■三番歌は、天才歌人とうたわれた柿本人麿(かきのもとのひとまろ)の歌です。

「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

「あしびきの山鳥の尾のしだり尾」は、現実の山奥の鳥やキジのことを言っているのではなくて、歌を詠み、歌を考え創造することは、まさに足を引きずりながら、険しく深い山に登り、そこで名鳥である尾の長い孔雀(くじゃく)に出会うようなものである、という意味です。

ひとつのことを真面目にひたすら一生懸命考え、孔雀にも似た美しい鳥(思考による成果)を得るために、ひとりで書き、文字にし、夜遅く、時の経つのも忘れて、そのひとつのことに没頭する、そういう意味の句です。


柿本人麻呂は、天才歌人として名高い人ですが、出自は身分のとても低い人だったそうです。
一番歌、二番歌と天皇の御製が続き、三番目に身分は低いけれど天才歌人とうたわれる人の
歌が来ています。
これは、古来より日本は、古代から才能や能力を重んじる習慣があったということが伺えます。
ただ、秩序維持のための身分というものもとても大切にしていたので、歌には、必要に応じて
歌詠みの位もふせられています。勤勉に努力し、才能を開花し、人々に良い影響を与えるようになることは、身分や出自以上に大切ですよ、という教えでもある、と上記、ねずさんの本では言っています。

この本を読むと、百人一首というのは、壮大な叙事詩なのだなぁ、、と感動しますし、2000年以上にもわたり伝えられ続けてきた重みがよくわかります。

この3つの歌の、もっと詳しい解説や、他の歌について、その意味や時代背景などを、知りたい方は、是非ご一読をおすすめします。百人一首の見方が、より深く味わい深いものになると思います。

[四番歌]田子の浦に、、 の意味は?

第2回小学生百人一首大会

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