[五番歌]「奥山に、、」には、どんな想いが込められているの?


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奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき

                       猿丸太夫(さるまるだゆう)

奥山で紅葉を踏み分け、泣いている鹿の声を聴くと、秋は一層悲しく感じられる

というのが、この歌の表面的な意味です。

作者の猿丸太夫は、八世紀後半から九世紀前半に生きた、位の高い人物が、本名を伏せて使った名前だろうと推測されます。

「鹿」は、おめでたいものの代名詞、「紅葉」は、華やかな美の象徴ですが、これらが「もの悲しさ」と結びついているのには、どのような隠された意味があるのでしょう。

人里離れた山奥で、樹木は紅葉して山全体が赤く染め上げられて、地面は紅葉が重なってまるで真っ赤な絨毯のよう。そこに立派な牡鹿が登場する。まるで、絢爛豪華な極彩色、素晴らしい、この世の贅をつくしたような豪華な情景です。そこに美しい牡鹿が牝鹿を求めて鳴いている。

この上の句の絢爛豪華な情景を受けていながら、下の句では「声聞く時ぞ秋は悲しき」と詠んでいる。

その心は、、、

身分を隠した高位の人物が、高位高官たちの絢爛豪華な贅を求める姿を愚かしいことと、華美の贅沢や虚飾はむなしいものであるというメッセージを伝えているのだ、と、ねずさんは解説しています。

(参考:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)

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