[八番歌] 我が庵は 都の辰巳 鹿ぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
喜撰法師
「私のすむ庵は、都の東南の方角にあって、私はそこで静かに暮らしています。それなのに、人々は、私のことを世の中を憂鬱に思って宇治山に離れ住んでいると噂しています。」というのが、現代語訳で、世捨て人の法師の様子を詠んでいると、多くの解説本には書いてあるそうです。
しかし、下の句の「うぢ」というのは、「宇治」「憂し」の他に、もう一つ「氏」が掛かっていると、ねずさんは言います。
実は、一番歌にある天智天皇は、大化の改新を行なった天皇です。この大化の改新で、それまで氏を持たなかった新興地主たちに氏を与えたそうです。
氏を与えるということは、どういうことかと言いますと、大化の改新により全国の土地は公地となり、土地台帳が整備されました。開拓され新田になったところには「氏」を与え、土地を管理するようになり、それまで豪族の私有民だった人々が、氏を与えられ「おおみたから」になったのだそうです。
隷属した人間ではなく、おおみたからとして生きていけるなんて、素晴らしいことだね。という意味が、下の句には込められていると、ねずさんは言います。
参考:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』