[九番歌] 花の色は 移りにけりな いたづらに、、には、意外な意味が?


[九番歌]
花の色は 移りにけりな いたづらに 
       我が身世にふる ながめせしまに

                          小野小町(古今集)

「花はむなしく色あせてしまったわ。春の長雨が降っている間に。そして、私の容姿もむなしく色あせてしまったわ。いたずらに夜を過ごしてもの想いをしている間に」

というのが、解説本などに書かれてありますので、なんか、しっくりこないながらも、そんなものなのかなぁ、、多分、良い歌なんだろう、、なんて思っていたのですが、この歌が、本当にこんな、自分が年をとって容姿が衰えてしまったというような意味しかないのだったら、どうして小野小町が絶世の美女と言われたのでしょう、とねずさんは疑問を呈します。

「花」は、「桜の花」のこと。桜の花は、色は変わらず、咲いた時の色合いのまま、散っていきます。「花の色は移りにけりな」は、桜が散って、桜の花の様子が変わっていくさまを詠んでいます。

桜の花がなぜ散るのか、それは、「世にふる」から。世の中に雨が降るから。また、時を経て。

雨に打たれて、桜の花びらが散っていきます。散るけれど、色は変わらない。花の形が変わっていきます。満開の花が、雨に打たれていたずらに散って、形を変えていく。桜の形が変わってく様を詠んでいます。

つまり、小野小町は、「私はまだ、散っていないわ」と詠んでいるのだ、とねずさんは言います。

深すぎて、何度も何度も、句と解説を交互に読んでいかないと、私には難しい。。。

幾つになっても、恋する情熱を失わない、若々しい心を失わない、そんな小野小町の心のかわいらしさを、小町が生きた時代から二百年後の歌人、藤原定家が「本朝一の美女」を絶賛したのだそうです。

う~~~ん。。。。

(参考:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)


ねずさんの百人一首の解説は、なるほどなぁ、と納得することも沢山あるのですが、

根拠は何だろう、

資料は何だろう、

他にどんな人が言っているんだろう、

どこに書いてあるのだろう、、

という疑問には答えてくれないんですよね。

出典や参考資料が書いてないので、調べようがない。

自分でいろいろと調べなさい、ということなのね。

ということで、

ようやく、読んでみたい解説を見つけました。古今和歌集についての本です。

新潮日本古典集成 ~ 古今和歌集 ~』(奥村恆哉 校注 /新潮社)

この本では、江戸時代に刊行された北村季吟(きたむらきぎん)『八代集抄』の『古今集』を底本としているそうです。

少しずつ読んでいきたいなと思います。


さて、小野小町のこの和歌は、「古今和歌集」の「春歌下」に載っています。

奥村氏の解説によりますと、

もしこの歌が、容姿の比喩と解するなら、「雑歌」の部にあるべき内容であるし、この説には根拠がないので、言葉通りに理解するべきだ、そうです。

なるほど。。。

(意味)

花の色は衰えて、色あせてしまった。春の長雨が降り続き、私は世を過ごすための空しい(むなしい)心づかいにかまけて、花をみる余裕もなかった、そのあいだに。

つれづれなる春の夕暮れの、長雨に降りこめられた憂愁を詠っています。

「世にふるながめ」は、掛詞(かけことば)です。

ふる→「経る」と「降る」

ながめ→「詠め(ながめ)」と「長雨」

他の人はどう解説しているのか、興味を引きますね。


「花」は「桜」?

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