[十二番歌] 天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
作者の僧正遍昭は、桓武天皇(かんむてんのう)の孫にあたり、六歌仙及び三十六歌仙のひとり。『大和物語』には、出家する前の返昭が小野小町に恋する男として登場しているそうです。三十五歳で出家、七十歳で僧正になりました。僧正とは、その姿を遠くから一目見ただけでも寿命が延びると言われたほどの、高僧(偉いお坊さん)です。
百人一首では、作者の名前が、俗名だったり、役職がついていたりしますが、役職をつけて紹介されている歌には、その奥に、公の意味が含まれているだろうと推察して読み解くと、理解が深まるし、「そうなんだぁ~~」と腑に落ちます。
この歌は、「五節(ごせち)の舞姫を見て詠める」と詞書(ことばがき)が付されているように、新嘗祭(にいなめさい)の翌日に、お公家様等高貴な家から選ばれた未婚の乙女が、宮中で舞を奉納する舞楽(ぶがく)の時に詠まれました。
表面的な意味は、
天を吹く風よ、雲間の風の通り道を閉ざしておくれ
乙女たちの姿をもっと見たいのだ
という意味です。
そして、僧正遍昭が伝えたかった意味とは、、、
さて、ひとつ前の十一番歌「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣り船」は、遣唐使を廃止すべきと歌った歌で、実際にその半世紀後に遣唐使は廃止になりました。
僧正遍昭は、遣唐使が廃止になった時代の高僧です。政治的にも大きな影響力をもっていたでしょう。
乙女の舞う姿からは、平和で優美な様子が連想されます。
「天の風 雲の通ひ路 吹き閉じよ」
は、雅な世界とどこかが繋がっていて、その道を閉じてしまえ、とうたっているのです。
では、どこと?
「唐」との交流をやめましょう。遣唐使で色々な交流が活発かもしれないけれど、治安も悪くなってきた。優雅で美しい日本、鍵をかける必要もない治安の良い日本を守るために、遣唐使を廃止しましょう、と詠っているのだ、とねずさんは言います。
日本人気質と中国人気質、今も昔も、あまり変わっていないのかもしれませんね。
(参考:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首』)