『実語教』解説 その2



『実語教』解説(2)

「師に会うといえども学ばざれば、
 徒(いたずら)に市人(いちびと)に向かうが如(ごと)し。
 習い読むといえども復せざれば、
 只隣の財(たから)を計(かぞ)うるが如し。
 君子は智者を愛し、小人は福人(ふくじん)を愛す。
富貴の家に入(い)るといえども、財無き人の為には、
なお霜の下の花の如し。
 貧賤の門(かど)を出ずるといえども、智ある人の為には、
あたかも泥中の蓮(はちす)の如し。」


※「師に会うといえども学ばざれば、徒(いたずら)に市人(いちびと)に向かうが如(ごと)し。」は、よい先生と出会っても、学ぶ気持ちがなければ、ただの人に会っているようなもの。何も得ることはできないでしょう。という意味。
※「君子は智者を愛し、小人は福人(ふくじん)を愛す。」は、立派な人は知恵のある人を愛し、つまらない人は、お金持ちを愛する。という意味。
※「富貴の家に入(い)るといえども、財無き人の為には、なお霜の下の花の如し。」は、お金持ちの家に生まれたり養子に入ったりしても、知恵や人徳がなければ、霜の下の花のように萎れてしまう。という意味。
※「貧賤の門(かど)を出ずるといえども、智ある人の為には、あたかも泥中の蓮(はちす)の如し。」は、貧しい家に生まれたとしても、努力して知恵を身につければ、泥の中の蓮のように花を咲かせることができる。という意味。

「父母は天地の如く、師君は日月(じつげつ)の如し。
 親族はたとえば葦(あし)の如し。夫妻(ふさい)はなお瓦の如し。
 父母には朝夕(ちょうせき)孝せよ。師君には昼夜に仕えよ。
 友と交わりて争う事なかれ。
 己より兄には礼敬を尽くし、
 己(おのれ)より弟には愛顧を致せ。

※「親族はたとえば葦(あし)の如し。夫妻(ふさい)はなお瓦の如し。」は、親戚は父母や先生の代わりになるとは限らない。夫婦は、互いに尊敬し教えあうという宝石のようなキラキラしたものというよりは、一緒に生活し頑張って子供を育てていく、いわば瓦のようなもので、お互いが先生になるわけではない。という意味。

つづく。。

江戸時代、寺子屋で子供達が習っていた『実語教』
平安時代の終わりにできて、以後明治の初めまで使われていたという『実語教』 テンポよく、人の道を説いていて、いい感じです。 ...

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