『新版 明治天皇』(里見岸雄著/錦正社) 抜粋その2 


『新版 明治天皇』(里見岸雄著/錦正社) 抜粋その2

維新の精神は、神武天皇の国体の三綱「積慶、重暉、養正」にあり。

抜粋です。

日本では六国史の第一「日本書紀」以来、神代と人皇を一往区別してきた。人皇第一代は、もちろん神武天皇であるが、このように、神代と人代戸を一往区別し、神代には紀年を立てず、人皇の代に入ってから紀年を立てたということは、現代風に言えば、神話と歴史とをその当時の認識において区別したものであって、誠に立派な見識だといわねばならぬ。それが、六国史第一の日本書紀の態度であり、この態度は多かれ少なかれ後に水戸の大日本史にも受け継がれている。

日本書紀や古事記に見える日本の神話は、主として国家形成に関する物語、したがって皇室発生の物語、一言でいえば国家神話であって、民間の伝承などは比較的少ない。これは、古代の日本人の最大の関心がそこにあったことの反映であって、ある人々が意識的にそうした神話を作り上げたと解するのは邪道である。

西暦712年に古事記成り、720年に日本書紀30巻が成り、現在に伝えられている形での神武天皇伝が成立したことは疑いえない歴史的事実である。
記紀の出現により、人皇第一代すなわち国祖は神武天皇であると信ぜられ、そのうえ、天皇は両書の伝えるような思想の持ち主、行動の主体であられると信ぜられたということは歴史的事実である。
記紀の記すところが、客観的事実であったかどうかは、今日いかなる専門の歴史学者といえども実証することも反証することも不可能である。

歴史学者でも素人たる一般国民でも、だれでもできることは、世紀八世紀の初頭において、初めて国家公の史書の中に、国祖神武天皇の建国はかくのごときものであったと書いた事実の認識だけである。それが、客観的事実であろうとなかろうと、日本の正式な文書歴史は、遠くは天照大神の神話、近くは神武天皇の史話を記録歴史の故郷として、又母体として書き起こされたということである。

つまり、八世紀初頭の時点において、口誦、伝承、および若干の記録、文書を素材として、遠き建国の事態を、記紀所載の如きものとして国家的に確認したということである。この確認は、単なる客観的事実がどうのこうのという問題以上に、建国の理念、つまり、建国の精神の確認ということが中心である。記紀には多少の異りはあるが、大本的には一致しており、神話の根源において、天照大神の天壌無窮の神勅を掲げ、永世無窮に我が国の根本憲法たるものを確認しておる。帝国憲法第一条などは、伊藤博文の明記した通り、天壌無窮の神勅に基づいたものであるが、明治天皇は「神武創業ノ始ニ原キ」と維新の根源を明らかになされた。
神武創業の始にもとづくとはなんであるか。まず、我々は、日本書紀により、神武創業がいかなるものであったかを、改めて確認する必要が生じてきた。これを確認しない限り、明治維新は、断じてわからないからである。

日本書紀には、その勅語の前の方にご先祖方のことを述べられて、「高祖高考、乃ち神、乃ち聖、慶びを積み暉を重ねて、多く年所を経たり」と仰せになった、と書紀は記しているのである。
これは、速記術で神武天皇のお言葉を録したものでもないし、勿論神武天皇がお書きになったものでもないが、日本書紀の多くの編纂官たちが討議を積み研究を重ねて、全員一致で承認した「神武建国の精神」に他ならぬ。この書紀の記述に基づいて、私の父田中智学は明治36年に「八紘一宇」という語を作り、また「積慶、重暉、養正」という三語を、神武天皇建国の三綱、または国体の三綱などと呼んだのである。(62-65ページ)

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