『新版 明治天皇』(里見岸雄著/錦正社) 抜粋その3


『新版 明治天皇』(里見岸雄著/錦正社) 抜粋その3

教育勅語の「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」と「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」の意味について

一旦緩急あれば義勇公に奉ずるということから、軍国主義を引き出してくるのは、魔法使いに過ぎない。それは戦争をも含んで国家浮沈の大事、あるいは社会死活の大事の起こったときは、誠の義勇心を奮い起こして公のために尽くすということであるから、いやしくもこの地上に国を営み社会生活をしている人間は、洋の東西、時の古今を問わず、従わねばならぬ道である。

一旦緩急義勇奉公を軍国主義だというがごときは、まったくもって話にならぬ大邪見というほかない。仮に昭和時代に入ってからの日本に軍国主義的傾向があったとしても、それは教育勅語と何の関係もないことだし、むしろ教育勅語に反したものだとは言いえようが、教育勅語が軍国主義だということはできない。
天壌無窮の皇運を扶翼すべしでも、それを皇室の利益に資するものというが如きは、実にいやしい解釈であって、唯物史観の階級闘争主義などを金科玉条にしているからの邪見である。まして、人民を奴隷化するものだなどというに至っては、雲助的根性であって、健全な理性を有する日本国民の到底承認することのできないところである。

日本国民は、各自第一義的に自己保身のために存在しているが、天皇皇后は第一義的に日本国のために存在しておられるのであって、天皇自身、皇室自身のために存在してはおられぬ。日本中唯一人天皇だけが姓氏を有せられないのは、かかる社会的、国家的基盤から解さなければならない。天皇、皇室を古来オオヤケ(公)と称してきたのは、天皇皇室が天皇皇室の必要と利益によって存在するのではなく、日本国の必要として、また、日本国の利益として存在しておられるという存在の大公性を、日本民族が先祖代々子子孫孫確信してきたからに他ならない。
皇位は、天皇となられた個人、または天皇となられるであろう個人の必要や利益のためにあるのではなく、日本国をして日本国たらしめるため、つまり、公の必要と利益とに基づいて設定された地位である。それだから、、皇運を扶翼することが国民的、国家的必要となるのであり、また国家的、民族的規範ともされるのである。われら日本人の祖先が代々積み重ねてきた尊厳な命の規範が「天壌無窮の港運を扶翼すべし」という至上命令の形で書かれているのである。しかも、皇運扶翼は卒然突如としてできるものではない。

個人も家庭も社会もそれぞれの人倫を尊重し、また国民としてはよく国家秩序を堅持し、国際人としても博愛及衆の精神の誇り高く生き、それらのすべての人倫を全うすることにより、日本人は尊き命を積み重ねてゆくべきものだから皇運を扶翼することに帰結せねばならぬ。父母に孝であっても皇運扶翼をしないのなら、それは無国籍の人間倫理を守っているだけで日本国民としての人間関係を無視したものである。皇運扶翼は、日本人が単なる人間という角度以外、国際的関係において人間の画竜点晴をとげる究極の倫道というべきである。これは、日本の歴史が築き上げたものだし、教育勅語は日本国民を対象として渙発されたものだから、「天壌無窮の皇運扶翼」という特殊の表現がとってあるが、しかし、その具体性を除いて、内容の論理を見れば、いかなる時代のいかなる国家にも妥当するものである。(162-164ページ)

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