教育勅語には、神話の時代からの日本の心が詰まっているよ


割と最近、某新聞社から、教育勅語を取り入れていることについて話を聞きたい、という打診がメールでありました。どうしようかなぁ、、と思いつつも、誠意をもってお返事を書きました。あちこちに話は飛んでいるけれど、良いことも書いてあるので、ボツにするにはもったいない。下記に紹介しますね。

–ここから–

森友学園騒動で教育勅語がクローズアップされて後、テレビから「「天皇家のために死ね」という意味だ!」というような発言が聞こえてきた時は、思わずのけぞってしまいました。(#^^#)
どこをどう読むと、そういう解釈になるのか、嘆かわしい気持ちがしたのを覚えています。

教育勅語を教育に取り入れた理由

ですが、

今、私達の国日本は、モラルの崩壊が著しく、国が中から溶けていっているように思われて仕方がありません。「お天道様がみているよ」という言葉すら、知らない子供たちも多くいます。
私は、日本という国は素晴らしい国だと思っていますし、この素晴らしい日本を次の世代、その次の世代へと受け継いでいかなければならないと思っています。

教育勅語は、「昔からご先祖様たちがずぅ~と守り続けて、伝え続けてきた人の道を、天皇御自らが、自分も守るので、国民のみんなも、守るように」と、天皇陛下が国民に語り掛けて下さっている言葉です。

この言葉、素晴らしいと思いませんか?

日本は、ご存知のように「君民一体」の国であり、天皇は民のために祈り、民は天皇を父のように慕い敬う文化です。統治するものと統治されるものが対立関係にある西洋の文化とは全く異なります。
また、神話の中に天岩戸のお話がありますが、天照大神が天の岩戸に閉じこもってしまったために世の中が真っ暗闇になり、何とかして天岩戸を開けようと、岩戸の外で神様たちが会議をしている等、神話の昔から日本には民主主義があったと思わざるを得ないのです。

そうすると、

戦後、初めて日本にも民主主義ができた、という話は、ほんとかな?
と不思議に思うようになります。

不思議に思うと、不思議は、たくさんの不思議を連れてくるものです。

そう、私たちは、実は、自分の国の歴史を習っていない、ということに気づきます。昭和20年、敗戦の年の12月8日に、連合軍総司令部民間情報局提供の『太平洋戦争史』の新聞連載が開始され、12月15日には「国家神道についての指令」が発令され、「大東亜戦争」の呼称までもが禁止されるようになり、翌年には、GHQの『太平洋戦争史』が出版され日本全国に広まっていきます。教科書もGHQの作った太平洋戦争史観で書かれるようになります。それは、現在にまで続いていて、いわゆる自虐史観と呼ばれるものとなっています。

この自虐史観は、日本人目線の歴史ではない、GHQが作った歴史観です。

では、私たちの日本の歴史は、本当はどうだったのだろう。

そこをきちんと学び直さなければ、日本という国は、溶解して滅びてしまうのではないかと、強烈な危機感を感じています。

国のはじまりのお話、先人の残した言葉、そういうものを学ぼう、という流れの一環として教育勅語を取り入れていますが、古典への誘い、という意味でも、とても響きの美しい言葉だと思っています。言葉の流れが、とても綺麗です。

戦時中外交に重要な役割を果たした重光葵も、

幼少の頃から、毎朝、竹刀の素振りと教育勅語の朗読をしていたそうです。彼は、世界各国の要人から一目置かれるほどの人でした。イギリスのモーリス・ハンキー卿は、重光について、「高潔さと善良さのオーラが漂っていた」と評しています。東京裁判でも、戦争回避のために力を尽くした重光を有罪にしたことは誤りであると、4名もの判事から個別意見が出されました。
その重光葵は、日本の由来を、こう記しています。
「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治したまう。
これ、我が万古不易の国体である。この大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、よく忠孝の美徳を発揮する。」
こういう日本の国体(国のありかた)について、私たちは学校で学んできたでしょうか。少なくとも、私は、ならってきてはいないのですよね。

だからこそ、学び直し、子供たちにも伝えなければならない、と思っています。

教育勅語の中で、問題にされがちなのは、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」という部分かと思います。

国家浮沈の大事や社会死活の大事が起こった時は、義勇信を奮い起こして公のために尽くすということですので、洋の東西、時の古今を問わず、国を営み社会生活をしている人間は、従わなければならない道でしょう。

もう一つ、「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」を問題にする向きもありますが、これを皇室の利益に資するものと考えるのはあまりに卑しい解釈、階級闘争主義に毒されている邪見ではないでしょうか。
そもそも、日本は君民一体ですから、天皇=私達国民、と言ってもいいと思うのです。天皇が栄える=私達国民が栄える、ことなのですよね。つまり、未来永劫、私達の国日本を栄えさせましょう、という意味だと解釈していいと思います。

「天壌無窮の皇運」という言葉から、「天壌無窮の神勅」という言葉を連想しますよね。

「天壌無窮の神勅」は、天照大神がニニギノミコトが地上に天降らせられる時(天孫降臨の時)に言った言葉です。日本國を統べ治めよ、つつがなくあれ、という御命令ですね。

この2つの言葉に接すると、わかります。
明治天皇がお示しになられた「教育勅語」の中に流れているのは、2000年以上も前に天照大神がお示しになられた「天壌無窮の神勅」と同じ精神だということ。

という風に、どんどん、どんどん、日本という国の姿が見えてきます。

そうすると、日本って、凄い国なんだなぁ、2677年も続いている国は、世界中探しても日本だけなんて、カッコいい!という気持ちが沸き上がってきます。

そうすれば、私達の国日本を大切にしたい気持ちも湧いてきます。誇りを持てるようにもなります。そういう気持ちが、一人、また一人と増えていったら、日本の国のモラル崩壊も食い止められるだろうと、思うのです。

だから、教育勅語に親しむこと、体に染み込ませることは、とても大切なことだと思うのです。

それはそうと、
テレビで話しているキャスターやコメンテータの方の一体どのくらいが教育勅語を実際に読んだことがあるのかと、不思議に思います。(#^^#)
森友騒動をきっかけにして、教育勅語の内容について、もっと踏み込んだ議論が広く起これば、みんなが考えるきっかけになって、とても良いですよね。

「教育勅語は、戦前回帰」という意見についても、そもそも、戦前って、どういう世の中だったのか、ということから、問い直す必要があると思っています。

私たちの国日本は、敗戦によって自国の歴史を奪われ、戦勝国にとって都合の良い歴史を教え込まれてきた、という事実に向き合い、一旦心を更にして、先人たちのことを学び直さねばならないですよね。

イギリスのサッチャー首相が行なった教育改革は、

それまでイギリスの教科書で教えていた自虐史観を、誇りを持てるようなものに変えたんだそうです。
そうしたら、子供たちの学力が上がり、国力が上がった、と、聞きます。
世界中を股にかけて搾取しまくったのがご先祖、というような内容を、変えたんですって。

日本も、イギリスのそういう姿を学んでもいいと思っています。
学校ではなかなかそこまで手が回らないでしょうから、できる人ができるところから社会貢献していければいいですよね。
そんな気持ちで、取り組んでいます。

–ここまで–

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