沖縄戦ゆかりの地を訪ねてきたよ


みんな、こんにちは。
僕、ウルフィー。
今日は、沖縄に行った時のお話だよ。

沖縄戦ゆかりの地を訪ねてきたんだ。

・陸上自衛隊
・沖縄総鎮守 波上宮(なみのうえぐう)
・遺骨収集資料館
・南部戦跡(摩文仁の丘)、魂魄の塔

に、行ったんだ。
初めて聞く話が沢山あって、僕は、なにも知らないことが、とても恥ずかしかったんだけど、魂の琴線に触れるような感銘をうけたんだ。

沖縄本土決戦について

陸上自衛隊第15旅団広報資料館では、立体ジオラマを観たよ、米軍がいつどの地点からどうやって攻めてきたか、日本軍はどれだけ果敢に戦ったか、そして撤退を余儀なくされて南に追い詰められていったのかの説明を受けたんだ。まるで、自分がそこにいるかのようだった。涙が出て仕方なかったし、何も知らずにぬくぬくと生きてきたことを恥ずかしいと思ったよ。

沖縄総鎮守 波上宮(なみのうえぐう)

波上宮には、全国の神社でただ一つ、明治天皇の像があるんだ。昭和45年に有志により建立されたそうだよ。本土復帰2年前のことだったから、当時はまだ、沖縄はアメリカだよね。その中で神社復興には並々ならぬ困難があったんだって。

この碑には、明治天皇直筆による『国家』の文字と「五箇条の御誓文」が刻まれているんだ。沖縄に対する宮内庁の格別の配慮が感じられる出来事だったと、宮司さんが教えてくださったんだ。

また、ある日目が覚めたら中国による尖閣上陸の報が新聞にあるのではないかと、恐怖を抱きながら過ごしているって。「国を失ってみて初めてわかる有り難さ」だって。それなのに、戦後、教育が蔑ろにされてきて、“国“がなく、個人の権利ばかりになってしまった事を嘆かれていたんだ。

国吉勇氏の遺骨収集資料館

国吉勇さん、という方の遺骨収集の話は、生まれて初めて見聞きする、想像もしていない内容だったんだ。米軍は、防空壕の屋根を崩して火炎放射を行い、入り口から爆薬の入った鞄を投げ入れて入り口を塞ぎ、火炎地獄にして人々を焼き殺したんだって。火炎放射でお椀にくっついた人骨、畳の模様のついた骨盤、炭化した脳みそ等々、そういう遺骨を一つひとつ見つけてくれているんだ。遺骨収集の費用も資料館も、すべて自費で、ずぅ~~~っと長いあいだ行って下さっているんだ。
今でも、砂浜からも遺骨がでたり、岩の間にミイラ化した遺体がみつかったりするんだって。
防空壕から民間人を追い出して、軍人が逃げた事実も一部にあったので、遺骨収集には難を示す精神性が沖縄の人々の中にあり、慰霊にも冷淡なところがあるという話は、身につまされたよ。
国吉さんの目、腹の据わった、動じない、精悍な目が、脳裏に焼き付いて離れまないんだ。僕は、彼に恥じないような生き方をしたいよ。

国民一丸となって先の戦争を戦い、沖縄の人々も戦い、敗れ、そして本土復帰を渇望した。それが、当時の事実だってことが、よくわかったんだ。
「戦艦大和が沖縄を攻めにやってくる、と当時沖縄の人々は恐れていた」とか、「沖縄を犠牲にした」とか、「自決は軍の指示だった」とか、そんなこと、実はなかったんだってことがよく分かったよ。

南部戦跡

旅行の最後には、摩文仁の丘に行ったんだ。摩文仁の丘に行く途中から、雨がざあざあ降りだしてきたのに、駐車場に着いたとたん、雨がやんで、噓のように晴れ上がったのには、みんなびっくりしたんだ。

摩文仁の丘は、軍司令部最後の砦となった場所、沖縄戦が終わりを告げた場所なんだ。
背後には崖がそびえ、逃げ場所を失った日本軍は、6月23日に司令官牛島満中将が自決したことにより組織的抵抗は終わりを迎えたんだ。

戦後、昭和天皇は、沖縄ご訪問を切望されていたのだけれど、結局
病に倒れて沖縄訪問が叶わず、無念の思いで崩御されたこと。今上天皇が皇太子時代に摩文仁の丘の井戸に慰霊に訪れられたというお話にも、身をつまされたよ。

みんなも、沖縄に行ったときは、慰霊の場所も訪れて欲しい、と思うんだ。
じゃ、またね。

スポンサーリンク
simplicity11
simplicity11

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする