終戦の詔に思うこと[#19]


前回、僕は「大東亜戦争終結に関する詔勅」を朗読してみたんだ。丁寧に読むことで、昭和天皇のお気持ち、この玉音放送を聴いた国民の心に去来したものが、どのようなものだったのか、戦後わずか20年余りで、世界第2位の経済大国に躍り出た理由が、少しわかるような気がしたよ。(日本は1968年にGDPが資本主義国で世界2位になったよね)

この玉音放送を聴いた国民は、一致団結して日本の再興に力を注いできたと思う。日本の経済成長は、目覚ましかったもの。
「大東亜戦争終結に関する詔勅」、昭和20年8月15日に玉音放送で流れたこの「終戦の詔」は、とても大局的な見方から、壮大に語られていると感じたんだ。

だって、こんなことが書いてあるんだよ。

国民やすべての国が栄えることは、天照大神や神武天皇等、皇祖皇宗の時から、日本国の精神で、天皇ご自身もそれを規範とされてきた。
自衛のため、アジアの安定のために戦争をし、形勢不利になったが、原爆が使われたからには、日本民族が滅亡するだけにとどまらず、人類の文明をも破壊してしまう。そんなことになってしまっては、皇祖皇宗の神さまご先祖様たちに申し訳が立たないので、ポツダム宣言を受諾する、と。
国民の苦しみはいかばかりかと心が張り裂けそうだし、これから、日本には恐ろしい困難が待ち受けているけれど、耐えがたきを耐え、忍び難きを忍んで、子々孫々のために太平を開くことを願う。
日本の国柄を維持することができ、国民と共にいるから、激しい感情に襲われて事件を起こしたりせず、国民一丸となって、神の国 日本の不滅を信じて、将来の建設につとめ、道義を大切に、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩に遅れないように心がけてほしい。と。

という感じだね。

僕は、学校でこの終戦の詔というものを教わった記憶がないんだけど、この放送を聴いて、天皇のお気持ちを心に刻んだ人たちは、戦争に負けはしたけれど、気高い精神は失わず、未来を見つめて、日本を再興しようと努力してきたのだと思う。だからこそ、戦後経済成長ができたのではないかな。

この、天皇陛下がお示しになられた道筋、精神を、僕たちは辿っているだろうか? 戦いに倒れ、戦災にあった人々の、苦しみや悲しみ。それでも、歯を食いしばって、国家再建に取り組んだご先祖様たちに恥じない生き方を、僕たちは、果たして、しているのだろうか。そんなことを、思ったんだ。

それから、
この詔は、東洋思想の権威 安岡正篤が起草したんだけど、決して削除してはならないと念押しした文言が、削除されてしまったという事実があるんだ。

有名な、「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び 以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」の前にある「時運ノ趨(おもむ)ク所」という文言が、安岡正篤によって起草された時には、「義命の存するところ」だったそうなんだ。その原稿が、閣議にかけられた際に、「義命」という言葉は辞書に載っていない難しい言葉だから、という愚かな理由で、「時運の赴くところ」という表現に変わってしまったんだって。「時運の赴くところ」というのは、風の吹きまわしという意味。風の吹き回しで調子が悪くなったからおじぎをするっていうこと。それなら、日本の天皇陛下、皇道哲学にはならない。負けるのは戦に負けたら降参するんじゃないんだと。勝とうが負けようが、どっちにしても信義に基づいてやめるんだと、これを道義の至上命令と言って、「義命」という言葉がある。義命の存するところ、これで戦をやめると。「義命の存するところ…万世のために太平を開かんと欲す」という言葉じゃないと、日本の国体を表現することにならない、と。
安岡正篤は、この詔勅に自分が筆を執ったということは言われたくない、また残したくない、できるならば抹殺してもらいたい、自分を忘れたいと思うくらいだ、と憤慨したそうなんだ。
ここが、「義命の存するところ、耐えがたきを耐え忍び難きを忍び、万世のために太平を開かんと欲す」という言葉だったら、今の軟弱なふにゃふにゃ日本人はできにくかったかもしれないなぁ、、と思ったりもするんだ。

じゃあ、またね。

(以上、動画書き起こし)

参考:『安岡正篤と終戦の詔勅~戦後日本人が持つべき矜持とは』