17条憲法をつくった時、聖徳太子29歳だったんだって!国柄のお話も♪


日本で一番最初に文字で書かれた法律、成文法っていうんだけど、聖徳太子は、どうしてこの憲法を作ったんだろうね。
「十七条憲法」は、604年、聖徳太子が29歳の時に制定されたんだ。
聖徳太子が15歳の時、大陸では300年以上混乱していた中国が統一されて、隋という大帝国ができていたんだ。
「隋」は、その強大な力を世界に及ぼして、「隋」中心の国際政治が生まれて、百済や高句麗など、朝鮮の国々は、すぐに隋に貢ぎ物を出して、隋の家来になったんだ。
聖徳太子も摂政になって数年後の26歳(600年)の時に隋に使節を送ったんだけれど、家来にはならなかったんだ。「遣隋使(けんずいし)」って聞いたことあるかな?
家来になるのではなくて、日本の国を強くして、みんなでまとまって、大和朝廷の政治の力を高めて、国を守ることを選んだんだ。天皇を中心とした国造りを行なったんだよ。
それを具体的な形にしたのが、
603年の「官位十二階」

604年の「十七条の憲法」
なんだ。
官位十二階っていうのは、
天皇がお役人の位を決めて、位を授けること。それまでは、家柄重視だったんだ。それを、その人の実力を天皇が見極めて政治のリーダーとして選ぶようになったんだ。この時、聖徳太子は28歳だったんだよ。驚きだね。そして、聖徳太子は、さらに考えたんだ。
実力のあるリーダーを集めたら、次は、その人たちに政治の正しい考え方や心構えを教えて、守らせようって。
リーダーが立派でなければ、日本は立派な国にはなれない。
そう考え、作ったのが、「十七条憲法」なんだよ。

「和をもって貴しとす」というのは、「和を尊ん(たっとん)で、仲良く助け合い、人と争うことのないようにしなさい。そうすれば、政治が正しく進められます。」という意味。
17個の条文ひとつひとつが、今 僕たちが聞いても、そうだよなぁ、、って思うことが書いてあるんだ。これが、僕たちの国、日本の国柄を表すものだと思うんだ。
17条を詳しく知りたい時は、#17番の動画をみてみてね。

僕たちが今使っている「日本国憲法」には、実は、僕たちの国柄を示す言葉が、全く入っていないんだ。
どうしてかって?
それはね、
日本国憲法は、先の大戦で日本が負けた時に、戦勝国GHQによって押し付けられたものなんだ。日本が強い国に戻ってほしくない、日本を壊したい、という目的でつくられているんだから、当然といえば、当然だよね。
今、憲法を変えよう、とか、変えちゃいけない、とか、色々と議論が出ているけれど、自分たちの国のあり方やルールは、自分たちで作るのが、普通だと思うんだ。
そして、そのためには、僕たちの先祖様たちが、神代の時代から2600年以上も、連綿と受け継いできた僕たちの国、日本の国柄を、学び直し、見つめ直すことが、とても大切だと、僕は思うんだ。じゃあ、またね。
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