大海の磯もとどろに寄する波 われてくだけて裂けて散るかも(源實朝)


大海の 磯もとどろに 寄する波 われてくだけて 裂けて散るかも
                         (源 實朝)

源實朝は、源頼朝の次男で北條時政の長女政子の子。

兄の頼家が北條氏に抵抗したことで将軍の地位を失って伊豆に幽閉され、

實朝は12歳で三代将軍となります。

その後 頼家は暗殺され、

鎌倉幕府は北條氏が支配するようになります。

實朝は、詩心の豊かな、信仰心の篤い人だったそうです。

22歳の時に、それまでに詠んだ99首の和歌を

『金槐集(きんかいしゅう)』にまとめて後鳥羽上皇に献上しました。

最初に紹介した和歌は、この『金槐集』の中の一首です。

大海原を前に、きりりと立ちはだかった若武者のたくましい姿が目に浮かびますが、心の奥には運命的な虚しさの影がひそんでいるようにも感じられ、胸が痛みます。(石井好子氏解説)

古来からの和歌を詠んでいると、

時代は違っても、

取り巻く状況や環境は様々でも、

自分の力ではあらがえない過酷な運命の中で、

それに、立ち向かい、自分の魂を昇華して、

気高く生きた人々の命を感じます。

自分の状況など、取るに足らないものだと、

自分を戒めたりもします。

源實朝は、藤原定家の直弟子だったのですが、

定家は、歌人 實朝をこう評したそうです。

「鎌倉右府の歌ざま、おそらくは人麻呂、赤人をもはぢ難く、当世不相応の達者と覚え侍る」(愚見抄)

万葉を代表する二大歌人、柿本人麻呂や山部赤人にも劣らない、今の世にふさわしくないほどの名人だ、という賛辞です。

實朝は28歳で暗殺され生涯を閉じます。

この歌を詠むと、

まるで絵画をみるかのように情景が目の前に現れますね。