『万葉集』にある歌が詠まれた時代について 学ぶのもいいかもね。


保田與重郎さんの『萬葉集の精神~その成立と大伴家持』という本を読み始めました。

序文が、美しく悲しい響きを奏でています。

一部引用しますね。

「皇神(すめかみ)の道義(みち)が言霊の雅に現れるとの思想から、我が国の古典論は、最も厳粛な意味において、創造的神話の思想であった。

その道義の現れは、悲痛な時も崇高な時も美であったゆえに、我が皇国風の精神の學は、文芸の注釈において、歴史を明らかにし、また創造の契点をいう美の学問であった。

先代における萬葉集の学問は、精密無比の注釈をなしあげたが、その注釈を今の人が単なる文献学概念で考える時に、国学における古典論の精神は、完全に失われるのである。

そして、現在では、国学における古典論の精神は、ついに消滅に瀕し、わずかに伝わるものがあったに過ぎなかった。

萬葉集とはいかなる集であるか、また、それは何を現しているか、そういう議論の前に、我々はこれをいかに読むべきかを、伝統によって明らかにすべきである。

しかも、遺憾ながら、萬葉集の読み方の伝統は、既に失われていたのである。」

この序文は、昭和17年3月25日に書かれています。

真珠湾攻撃が、昭和16年12月8日だから、国家の命運をかけた悲壮な戦いを前に、国史を正確に論じ後世に伝えるべく書かれたのではないか、と推察します。

萬葉集によって描き出されているのは、一つの歴史の精神、国家學だといいます。

高度な文明と国家を形成した人々の意識に現れた、国民精神の発生と血統のあり方についての考察がある。

単なる国民感情ではなくて、皇国(日本)の歴史の精神と理想が示されているのだそう。

萬葉集が、どのような精神によって成立し、何を表現し、何を主張したのか、それを詳しく知らなければならない、と。

萬葉集は、国の臣の想いを論理とした文化論であり、世界観であり、また、倫理と歴史の思想なのだそうです。

この本、

難しそうに見えるけれど、どんどん読み進められます。

萬葉集の作られた時代背景なんて、学んだことも考えたこともなかった私。

壬申の乱、柿本人麻呂、後鳥羽院、大伴家持、、

彼らは歴史上の人物だけれど、和歌からは、生々しい生きざまや、悲しみ、慟哭、等も感じられます。

もう少し、読み進めたら、学んだことをお伝えしたいと思います。

万葉集の精神―その成立と大伴家持 (保田与重郎文庫)