小倉百人一首は”恋の歌”、、、だけ? [二十一番歌]今来むと いひしばかりに長月の


百人一首と聞くと、「恋の歌だよね~」

多分、多くの人がそう思っていると思います。

もちろん、私も漠然とそう思っていました。

「平安時代、優雅が貴族社会の恋の歌だよね。あの頃の人たちって、恋愛三昧で過ごしていたのねぇ~」って。

手元にある本や本屋さんの本をパラパラっとめくっても、そういうイメージを持ってしまいます。私だけなのかもしれませんが、、(^-^;

最近、萬葉集について書いてある本を何冊か読んでいるのですが、自分の思い込みを反省させられる日々です。

小倉百人一首に限らず、和歌に詠われているのは、恋心ばかりじゃない。

防人(さきもり)の人、つまり国防に携わる兵士の歌や、それぞれの時代に生きた人々の慟哭(どうこく)、自分の力ではどうすることもできないやるせなさ、抗えない運命に対する諦観など、たくさんの想いが込められた歌がことのほか多いのです。

例えば、

二十一番歌

今来むと いひしばかりに長月の 有明の月を 待ち出でつるかな

(古今集/素性(そせい)法師)

この歌は、「三十六歌仙の一人、素性法師が女性の心になって作った歌である」といろいろな本に書かれてあります。

意味は、

すぐに来てくださると、あの人がおっしゃったばかりに、待ちに待っているの。

その間に、秋も更けてしまい、9月の有明の月が出てきてしまいました。

出て行ったきり帰ってこない男性を待ち続けている女性の気持ちを詠っているそうなのです。

本当にそうなのでしょうか?

素性法師は、出家前は、左近将監(さこんしょうかん)という役を担っていた高官です。

左近将監(さこんしょうかん)とは、今でいうと陸上自衛隊のトップ、幕僚長に相当する役職です。

その彼が、官位を捨てて出家したのです。

そのような人物が、僧侶になった後の名前でこの歌を詠んでいる、ということに、心を馳せると、意外なことに気づくかもしれません。

素性法師が生きた9~10世紀は、藤原純友の乱など、諸国で争いが相次いだ時期にあたります。そんな時代に、左近将監(さこんしょうかん)という、今でいえば 陸上自衛隊幕僚長(りくじょうじえいたい ばくりょうちょう)を拝命していた。おそらく、戦いの責任者として指揮をとっていたことでしょう。

戦いでは多くの兵士の血が流れます。

素性法師は出家後、戦いで亡くなった兵たちのために、慰霊の旅をしたという説もあります。

先の対戦、大東亜戦争でも、一緒に戦った亡き戦友の留守宅に、形見の品を届けたり、お焼香をあげに行ったりする、という話は、とてもとてもよく聞く話でした。

それと同じようなことが、この時代にもあったというのは、想像に難くないと思います。

ある日、亡くなった兵士の留守宅を訪れ、母親や奥さんの心の内を感じ、その気持ちを歌にしたとしたら、、、

あの人(あの子)は、戦いに出発するときに、今度は簡単な戦だからすぐに帰ってこれるよ(今来む)と言い残してでていったのです。だから、きっと帰ってきます。そう思ってずっと待っていました。あれから何か月もたって、もう9月。有明の月の季節になってしまいました。それなのに、あの人はまだ帰ってきてくれないのです。

大切な人を戦地に送り、安否を気遣いながら帰りを今か今かとまっているうちに、長い月日がてしまった。。。

そういう心を詠んだ歌なのではないか?

という説を、私は信じてみたい気がします。


平成30年8月開催予定 第3回小学生百人一首大会
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