来る年も咲きてにほへよ櫻花 われなきあとも大和島根に


来る年も 咲きてにほへよ 櫻花 われなきあとも 大和島根に

長澤徳治 享年24歳 / 特攻隊遺詠集

今年も終戦の日がやってきます。

命をかけて私たちの祖国日本を守ってくださった英霊に感謝の気持ちをいつも以上に捧げたいと思います。

この歌は、知覧から特攻に出撃して散華された英霊の歌です。

先日お亡くなりになられた津川雅彦さんが、解説を書かれています。

追悼の意味も込めて、それを引用します。


日米開戦から2年8か月を経た昭和19年(1944年)7月、圧倒的勢力を誇るアメリカ軍は、グアム島、サイパン島を攻略。日本領サイパンにおいては、将兵はほとんどが玉砕しただけでなく、非戦闘員である在住の婦女子全員も断崖から身を投げて自決するといった悲惨な結果となりました。

グアム、サイパンが落ちたことは、そこを航空基地とする日本への本土空襲を許すことになります。そうした情勢の下で、陸海軍内部では、非常手段として特別攻撃(特攻)が密議されていました。特攻とは、爆弾を抱えて敵艦に体当たりするという、生きて帰れぬ突撃です。大がかりの作戦としては、世界史に類例のないものでした。

10月、アメリカ軍は、フィリピンのレイテ島に上陸、この時海軍機による最初の特攻が開始されました。以来、終戦まで10か月の間に、特攻による戦死者6952人、うち4615人が航空特攻、その他が人間魚雷「回天」や爆弾を抱えた小型モーターボートなどによるものです。

挙げた歌は、昭和20年4月28日、鹿児島県知覧吉を飛び立ち、沖縄方面で散華(さんげ)した長澤徳治陸軍大尉のものです。

「櫻よ。俺が死んだあと、来年も、またその翌年も、春には咲き匂ってくれ、この日本の国に」

「島根」の「根」は「磐が根」などとも使う接尾語で、大和島根といえば、しっかり立つ日本の国という意味になります。

特攻隊員の歌に櫻が多いのは、櫻のように清く散りたいという願いと、靖国の櫻となってまた会おうちう気持ちのゆえでしょう。

長澤大尉のこの歌にも、重い責務を淡々と受け入れる武人(もののふ)としての勇気と潔さ(いさぎよさ)が感じ取れます。

特攻隊員の遺書や遺品は、靖国神社の遊就館はじめ数か所の元特攻隊基地の記念館に、大切に保存・展示されていますが、いづれも見学者の胸を強く打つものがあります。

和歌をあと二首挙げましょう。

いざさらば我は御国(みくに)の山櫻 母のみもとにかえり咲かなむ

海軍少佐緒方襄(22歳)

末遂に(すえついに)海となるべき山水(やまみず)も しばし木の葉の下くぐるなり

海軍少佐仁科關夫(21歳)

私は俳優として、何度も軍人の役を演じてきました。軍事関係の歴史に関心を持ち続けていますが、このたび特攻隊遺詠集を読み通し、戦死された方々の殉国の誠に深い感激を覚えるとともに、こうした歌を詠むだけの教養を備えていたことに、改めて驚嘆しています。

津川雅彦

出典:『平成新選百人一首』(宇野精一編/明成社)

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