契りきな、、の 「すゑの松山」と貞観地震 ~百人一首かるた42~


契りきな かたみに袖を しぼりつつ すゑの松山 波こさじとは

清原元輔(きよはらのもとすけ)/後拾遺集

私たちは固く約束しましたよね。お互いに袖を涙で濡らしながら。。

あの末の松山を波が決して超えることがないように、私たちの愛も変わることがないと。

作者 清原元輔(908-990)は、清少納言のお父さん。三十六歌仙の一人です。

この歌には、「心変わりて侍(はべ)りける女に、人に代わりて」

という詞書(ことばがき)がついています。

「心変わりした女に、相手の男に代わって(詠む)」という意味。

永遠の愛を誓った女性が心変わりをしてしまった、その悲しみが伝わってきますね。

この失恋した殿方は、紫式部の弟 藤原惟規(ふじわらののぶのり)。

かれのために呼んだものだそうです。

末の松山というのは、今の宮城県多賀城市にある丘だそうです。

上の写真は、ハザードラボさんに載っている写真です↓

今から1144年前、869年(貞観11年)の今日7月9日に貞観地震が発生した。 そう、東日本大震災が1000年に一度と言われるゆえんになった、1000年前(正確には1142年前だが)に起きた「東日本大震災」だ。 その当時&

先の東日本大震災は、「千年に一度の大災害」、「貞観地震(じょうがんじしん)以来の大津波だ」と言われましたが、869年の貞観地震は、この歌が詠まれる少し前に起こりました。

貞観地震による大津波でも、この末の松山を波を超えることがなかったという言い伝えがあり、それを踏まえて「末の松山波こさじとは」とうたわれているのですって。

緑札一覧↓

五色百人一首かるた「緑札一覧」です。 意味等については、それぞれの和歌からのリンクでご覧いただけます。 &nb…

心で読み解く和歌↓

せっかく百人一首大会を開くのですから、それぞれの歌が詠まれた時代背景や世相、隠された真意等について考えてみまし…

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