[六十八番歌]心にもあらでうき世にながらへば、、三条天皇の想いとは、、


心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべきよはの月かな

三条院(さんじょういん)/後拾遺集

心ならずも この辛い浮世を生きながらえることがあったなら、この夜更けの月も恋しく思い出されるのでしょう。

三条院である三条天皇は、第63代 冷泉天皇の息子で、寛弘8年(1011)に従兄弟の一条天皇の譲位を受けて36歳で第67代天皇に即位されました。

時は、藤原道長が権力をほしいままにしていた時代。

「この世をば我が世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば」という藤原道長の歌はあまりに有名ですね。

三条天皇は、藤原道真の権力の集中と横暴に心を痛めていましたが、それが道長には邪魔で邪魔で仕方がなかったのでしょう。

長和3年(1014)に三条天皇は失明してしまいました。献上されて飲んだ漢方に水銀が含まれていたからではないかと言われています。

失明したことで、藤原道長は三条天皇に退位を迫りました。

天皇の権威の方が、政治的な権力者より上位であるはずなのですが、それを無視してしまえるほど藤原氏の権力は甚大だったのですね。

道長の圧力に屈せず、三条天皇は退位しなかったのですが、突然の火事で皇居が全焼したり、間に合わせで作った仮設の皇居まで再度火災にあったりしたことで、退位を決意し、仏門に入り、まもなく崩御なされます。42歳の若さでした。

この歌は、第68代 後一条天皇が即位し、三条天皇が三条院となった時に詠まれた和歌です。

藤原道長によって歪められていく日本の姿を憂え、生きながらえれば、満月(望月)も懐かしく思えるようになるだろう、藤原氏による横暴な政治にもそのうち影が差し、それすら懐かしいと思える時が来るでしょう、と詠んでいると解説する人もいます。

こういう歌の背景を知ると、かるたをするにしても、せめて意味を味わったうえで速取りする気持ちを持ちたいなとも思いますよね。

平安京時代の終わりの頃から、藤原氏が財力を蓄え権力を手にするようになっていきました。藤原氏は飛鳥時代の中臣鎌足(なかとみのかまたり)が始祖。

鎌足は中大兄皇子(天智天皇)の右腕として活躍して藤原姓を貰いました。

この藤原鎌足の子孫には、支那事変や大東亜戦争の頃2度首相になった近衛文麿がいます。

近衛文麿が、藤原道真の栄華を自分の身にも!と企んだ人だったのではないかという研究もなされています。興味のある人は、『近衛文麿 野望と挫折』(林千勝著/WAC)を紐解かれるのもおすすめです。ビックリしますよ。

藤原氏は、平安時代中期から一族の娘を次々と天皇に嫁がせ、天皇の外戚として力を振うようになります。

遣唐使の廃止を進言した菅原道真(すがわらのみちざね)も、藤原氏の謀略によって失脚し九州 大宰府に流されました。

それはそうと、

『枕草子』を書いた清少納言や『源氏物語』を書いた紫式部もこの時代を生きた人です。

なんと!

清少納言は、一条天皇のお后の一人 藤原道長の姪 定子(ていし)に仕えた人。

紫式部は、一条天皇のもう一人のお后 藤原道長の娘 彰子(しょうし)に仕えた人。

清少納言と紫式部の不仲説も、なんだか想像に難くないようにも邪推できちゃいますね。

それにしても、ひとつの和歌にこれだけの歴史的事実や時代を超えた人々の想いが絡み合って織りなされているって、すごすぎやしませんか?

参考)

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