「吾が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて、、」万葉集にある和歌が詠まれた場所が発掘されたんですって


吾が背子を 大和へ遣るとさ夜ふけて 暁露に我が立ち濡れし

 大伯皇女(おほくのひめみこ)(661-701)/万葉集

先ごろ開催した小学生百人一首大会の部門3)「百人一首にはないけれど有名な和歌」で取り上げたこの歌は、謀反を疑われ自死させれれた弟を最後に見送った時の歌です。

大伯皇女(おほくのひめみこ)は、齊明天皇7年(661)~大寶元年(701)に生きた天武天皇の皇女。お母さんは天智天皇の皇女。13歳で、伊勢神宮の斎王となりました。

斎王というのは、天皇の代わりに伊勢神宮に仕えた皇族女性から選ばれた未婚の女性で、斎宮というのは、斎王の宮殿だそうです。

この斎宮(さいくう)跡は、三重県明和町にあるのですが、飛鳥時代の斎宮とみられる堀囲いの区画が見つかったのだそうです。

大伯皇女(おほくのひめみこ)は、まさにこの場所でこの歌を詠んだ可能性が高いんですって。

今日産経新聞に記事を見つけました。

未婚の皇族女性から選ばれ、伊勢神宮に仕えた斎王(さいおう)が暮らした三重県明和町の斎宮(さいくう)跡(国史跡)で、飛鳥時代の斎宮とみられる塀囲いの区画が見つかっ…

この和歌の意味は、

「大事なあなたを大和へ立たせるというので、夜更けに外に立ってずっと見送っていたのだけど、いつか明け方も近くなって、立ち尽くしている私は、すっかり朝露に濡れてしまった」

「背子」というのは、女性が兄弟を呼ぶ言葉。

686年、天武天皇が崩御された後の後継争いという表現が適当かどうかわからないのですが、

大津皇子は人望厚く学芸に優れた方でしたが、天武天皇崩御直後に、皇太子草壁皇子(くさかべのみこ)への謀反を疑われ追い詰められてしまったのですって。

謀反を疑われて追い詰められた状態になった弟、大津皇子が、死を賜る前のほんのわずかな時間に、伊勢神宮の斎王となっていた姉を訪ねました。

弟が大和に帰るときに、今生の別れを感じながら見送った時に詠った歌です。

大和に帰った大津皇子は自死させられます。686年10月3日の事だったと『日本書紀』に記述があるそうです。

大津皇子の無念、やりきれなさ、くやしさ、、

姉の大伯皇女(おほくのひめみこ)の悲しみ、、、

いかばかりでしょう。。。