[七番歌] 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
安倍仲麿(あべのなかまろ)
この歌は、遣唐使として唐に渡った安倍仲麿が、30年以上ぶりに日本に帰る時に送別会で詠んだ歌です。
安倍仲麻呂(とも書きます)は、高貴な身分で、容姿端麗、立ち居振る舞いも優雅な、飛び切りの秀才、日本人として初めて科挙の試験に合格した大変優秀な人だったそうです。
送別会の時に月をみながら、「あの月は、故郷の奈良の春日大社のあたりで、三笠の山の上に出ていた月、昔みた都にかかる月と同じ月なのだなぁ。」という想いの他に、末尾の「かも」に込められた想いがあります。
日本へ航海は、とても危険なもの。無事祖国の土が踏めるかどうかもわかりません。だからこそ、望郷の想いを歌に込めたのです。
「私は帰ることができずに、途中で死んでしまうかもしれない。しかし、私の仲間たちの誰かが、あるいは、その誰かの子孫が、いつの日か日本に帰れるかもしれない。そしたら、私があの時月を見上げながら、『三笠の山に出でし月かも』と望郷の想いを歌に詠んでいたよと、故郷の人に伝えてほしい」
そんな思いを和歌に刻み付けたのだ、と、ねずさんは言います。