新しい年 平成31年が幕を明けます。
先日12月23日の天皇誕生日(天長節)では、
天皇陛下からお言葉を賜り涙が流れて仕方がなかったという話も沢山聞こえてきました。
約70年前、
敗戦後翌年 昭和21年元旦に、
昭和天皇は「新日本の建設に関する詔書」を
渙発(かんぱつ)されました。
※渙発(かんぱつ)--詔勅を広く国の内外に発布すること。
昭和20年8月15日に終戦の詔勅があり、
それからわずか半年後に出されたこの詔書、知らない人も多いと思います。
どのような内容が書かれてあったのか、読んでみるのもいいですよね。
この詔書が出された昭和21年1月1日は、敗戦後まだ半年足らず。
多くの土地が焼け野原になってしまい、軍人さんたちは捕虜になったままだったり、
日本をアメリカが直接統治する動きになって、
それを必死に間接統治にしようと連合国軍との必死の交渉が行われていたとき。
国民は茫然自失、家も仕事もなくなって、今日の食べ物にも困っていた時。
戦争に負けて、これからどうやって生きていこうかとみんなが不安に思っていた時、
そして、昭和天皇ご自身の身もどうなるかわからなかったとき、
そんなときに出されたものです。
この年、昭和天皇は、全国巡業をされます。
東日本大震災の時、私たちは天皇陛下のビデオメッセージを拝聴し、
勇気づけられました。
終戦後も、同じように天皇陛下は国民を励まされたのですね。
私たちは、ホント、自分の国の歴史を知らないから、
少しずつでも学んでいきたいですね。
この詔書の冒頭には、
明治天皇の「五カ条の御誓文」が記されています。
五カ条の御誓文を改めて日本国民に示して、
変わらぬ君民の絆を訴えたものです。
まずは、虚心にお言葉を読んでみましょう。
新日本の建設に関する詔書
昭和21年(1946)1月1日
ここに新年を迎ふ。顧みれば明治天皇 明治の初めに 国是として五箇条の御誓文を下し給へり。曰く、
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
一、官武一途庶民に至るまで おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習(ろうしゅう)を破り、天地の公道に基づくべし。
一、知識を世界に求め、おおいに皇基を振起すべし。
叡旨公明正大、また何をか加へん。
朕はここに誓いを新たにして、国運を開かんと欲す。
すべからくこの御趣旨に則り、旧来の陋習を去り、民意を暢達(ちょうたつ)し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、以て民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。
大小都市の蒙りたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、真に心を痛ましむるものあり。然りと雖も、我が国民が現在の試練に直面し、且つ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束を全うせば、独り我が国のみならず全人類のために、輝かしき前途の展開せらるることを疑はず。
それ家を愛する心と国を愛する心とは、我が国において特に熱烈なるを見る。今や実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かひ、献身的努力を効すべきの秋なり。
惟ふに長きに亘れる戦争の敗北に終わりたる結果、我が国民は動もすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸せんとするの傾きあり。詭激の風ようやく長じて道義の念すこぶる衰へ、為に思想混乱の兆あるは、洵に(まことに)深憂に堪へず。
然れども、朕は爾等国民と共に在り。常に利害を同じうし休戚を分かたんと欲す。朕と爾等国民との間の紐帯(ちゅうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説とによりて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且つ日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て(ひいて)世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。
朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、我が国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振典のために、勇往せんことを希念す。我が国民がその公民生活において団結し、相倚り助け、寛容あい許すの気風を作興するにおいては、能く我が至高の伝統に恥ぢざる真価を発揮するに至らん。斯くのごときは、実に我が国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献を為す所以なるを疑はざるなり。
一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一にして、自ら誓ひ、自ら励まし、以てこの大業を成就せんことを庶幾ふ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
五カ条の御誓文↓
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[…] また、終戦翌年正月に、昭和天皇は「新日本の建設に関する詔書」を渙発(かんぱつ)されました。 […]