peaceの語源をたどると一種の戦争用語だってことが見えてくる(@_@)


少し前に自裁された西部邁先生の動画を、私が珍しく書き起こしていたものを見つけました。

英語化は愚民化ということについての考察です。

平和 は peace の訳語であることは、みんな知ってる。ところが、そのうわべだけで習いますから。Peaceは平和ね、それでおしまいにしちゃう。翻訳文化が大衆化する時の弊害は、それなんです。ところが、peace という言葉をちょっと調べてみるとね、もともとラテン語のパクスpaxから来ていて、パクスというのが何かと言ったら、パクトという言葉があるがごとく、戦争状態があって、強い方が弱い方に勝って、「勝ったな」「負けました」と。「負けたお前の領土は貰うぞ、賠償金はいくらいくらで、事は終わったことにするぞ。」という講和条約のことなんですよ。それゆえ、パクスpaxというのは、強い者が弱いものを“平定”する、押さえつけるという意味。それが、日本語に伝わってこない。手でVサインを作るけど、このVサインって言うのは、Victory 勝利ですよね。今のパクトと同じで、勝ったぞ!という意味。勝ったぞ、というからには、負けたやつがいる。一種の戦争用語なんですよね。そういったことが、全部溶けて流れてしまって、「平和ね、victory(Vサイン)」って、なんなんだ、ってね。
その程度でね、

外国語を学ぶのは結構だけど、俗流の学び方をすると、言葉の、英語の歴史的本質を忘れてうわべだけ学んでくる。日本語も上辺化する、外国語も上辺化する、それこそ、病葉(わくらば)=虫食いだらけの葉っぱ)みたいな言葉が、川を流れていきます、ということになっている。それを(施光恒先生は)憂えているってこと。

英語化は、愚民化 ~西部邁ゼミナール

スポンサーリンク
simplicity11
simplicity11

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
simplicity11