額田王と大海人皇子(天武天皇)と天智天皇。この三角関係からみる壬申の乱の頃の日本の情勢


天智天皇や天武天皇の時代は、日本が独自の国柄を内外に示した日本史上とても重要で面白い時期だったようです。

大海人皇子(天武天皇)と額田王の恋が、壬申の乱の背景に?まさか(@_@)
皇位継承をめぐって大友皇子(おおとものみこ/弘文天皇)と大海人皇子(おおあまのみこ・天武天皇)が戦った壬申の乱で、伊勢から吹いてきた...

天武天皇と額田王の相聞歌

額田王と大海人皇子の相聞歌について説明しましたが、このあたりの人間関係がすごすぎ。

整理してみました。

額田王と大海人皇子(天武天皇)と天智天皇(てんじてんのう)の関係をおさらいしてみます。

額田王(ぬかたのおおきみ)が皇極天皇に仕えていた時

大海人皇子とラブラブで、二人の間には皇女が生まれました。

♪皇極天皇の後、大海人皇子の実兄 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は即位し天智天皇となります。二人とも皇極天皇の子供です。

額田王は、後ろ髪をひかれながらも天智天皇に仕えるようになります。

天智天皇主催の宮廷あげての狩りの宴(狩猟パーティー)の時、大海人皇子はラブラブ光線を、額田王に浴びせ続け、額田王は戸惑いながらも愛情を伝えます。

二人の相聞歌が万葉集にあります。

♪この時に額田王が詠んだ「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」のなかに野守は天智天皇のことだろう、と。

つまり天智天皇は、自分主催の宴で、実の弟 大海人皇子が自分に仕えている額田王に視線をおくっていて額田王もそれに返している姿を見ている。

が、そもそも天智天皇は自分の弟の彼女を取った、ということですよね。

天智天皇は、自分の次に大海人皇子に後を継がそうと持ち掛けたけど、大海人皇子は断って都を離れた。

天智天皇亡き後、息子の大伴皇子(おおとものみこ)が弘文天皇となる。

♪弘文天皇の奥さんは、なんと、額田王大海人皇子との間に生まれた十市皇女。

大海人皇子は兵を挙げ、実の娘の旦那である弘文天皇と戦う。☜ 壬申の乱

♪壬申の乱で敗れた弘文天皇は自害する。

天智天皇(中大兄皇子) ☛ 大化の改新、白村江の戦い

天武天皇(大海人皇子) ☛ 『日本書紀』や『古事記』の編纂を命じる

なんか、すごくないですか?

一筋縄ではいかない人間模様ですよね。

色々と考えさせられます。

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