名君 上杉鷹山を導いた 細井平洲の「嚶鳴館(おうめいかん)遺草」を渡邉五郎三郎先生が現代語にしてくださった本


本棚に手書きの本を見つけました。

渡邉五郎三郎先生の自筆の本。渡邉五郎三郎先生の講義は、いつも先生の自筆の本で学んでいたのですが、改めて拝見するとすごいですよね。

名君 上杉鷹山を導いた 細井平洲の「嚶鳴館(おうめいかん)遺草」を渡邉五郎三郎先生が現代語にしてくださった本

上杉鷹山は、江戸時代中期の大名で出羽国米沢藩9代藩主。
領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。

その上杉鷹山が師と仰いでいたのが細井平洲。

細井平洲が門人の藩主などとした問答や随筆をまとめたものが「嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)」。

渡邉五郎三郎先生が、この本を探し見つけ、現代語にわかりやすく訳して、新樹会でご講義してくださいました。もう、かれこれ10年ほど前のことでしょうか。その時先生は90歳くらいだっと思います。

鎌倉のご自宅から福島県郡山市までわざわざご講義に来てくださるお心に、集う皆は、畏敬と尊敬の念を抱き、先生とのひと時を身を引き締めて過ごしたのでした。

昨日、本棚を眺めていたら、渡邉五郎三郎先生の

『名君上杉鷹山を導いた細井平洲の人間学~「嚶鳴館遺草」私解』という本をみつけたので、

皆さんにご紹介しようと思います。

まずは、前書きをご一読くださいませ。

前書きから

当時、全国諸侯中第一の名君と言われた上杉鷹山の治世が、彼が心酔敬慕した細井平洲の教導によるものであることはかねて学んできたが、その遺稿「嚶鳴館遺草(おうめいかんいそう)」(平洲の随筆と門人の藩主や重臣との問答)を、西郷南洲が最初の流刑地・大島に携行して愛読し手写するまでに至ったことを知るに及んで、どうしても学ばねばならないと思うようになった。

爾来、市販のものの入手に努めたが得ることができず、漸く鎌倉市中央図書館に昭和19年発行の「小西重直校訂の嚶鳴館遺草」があることを知って、宿題を達することができた。

早速借り受けて三読し、平洲の学問に対する姿勢・人格に触れ、人情の機微を明らかにし、世態の真相に触れ、或は詢々(とうとう)として誨(おし)えて倦まず、或は直言憚ることはなき至誠等、心が震えるような感銘を受けた。

(中略)

同志諸氏共にこの感銘を分かちたく、身の菲才をも省みず、現代文への私解をさせて頂いた。

お互い学に志す者として、平洲に学ぶ縁にしたいと思う。

                         平成18年3月 渡邉五郎三郎

上杉鷹山(うえすぎようざん)や細井平洲について以前に、

渡邉五郎三郎先生のこの前文にノックアウトされてしまうのですが、、、

今、五郎三郎先生は101歳。平成18年ということは、88歳の時の想いです。

尊敬してもしきれない 人物 であられます。

目標にするにはあまりに偉大すぎます。

細井平洲って、どんな人?

細井平洲(享保13年(1728年)-享和元年(1801) )は、江戸時代の儒学者で、上杉鷹山が師と仰いだ人。
弟子には寛政の三奇人として有名な高山彦九郎もいます。

平洲の講釈には2000人から4000人もの聴衆が集まったと言われています。

名君とうたわれた米沢藩主 上杉鷹山 は、19歳で藩主になる際に、細井平洲に不安な胸の内を打ち明けたところ、

「勇なるかな 勇なるかな 勇にあらずして 何をもって行わんや」

まず自らが身を正しく修めて、絶えず努力して、自分の信じるところを貫いていかなければなりません。こうしたことは勇気ある者だけができるのです、と背中を押したそうです。

嚶鳴館遺草

嚶鳴館遺草を愛知県東海市のホームページで見つけました。それはこんな感じに記されています。

(つ ら つ ら ふ み  君 の 巻)

つ ら つ ら 世 の 中 を 被 成 御 覧 候 所 、 大 概 高 位 貴 人 に は

知 慮 通 明 徳 行 優 美 な る 君 は 稀 々 に て 無 位 素 賤 の

士 に は 知 識 人 に 勝 れ 、 徳 行 世 に 被 尊 候 人 も 不 断 出

候 事 、 御 会 得 難 被 成 候 間 、 愚 老 所 見 御 聞 被 成 度 と の 御 事 、

篤 と 承 知 仕 候 。 先 以 高 貴 の 御 身 分 に て 、 ケ 様 の 所 に 被 付

御 心 候 御 事 、 必 竟 常 々 御 好 学 御 読 書 の 御 力 と 感 心 仕 候 。

愚 老 浅 学 之 所 見 、 賢 慮 に 相 叶 可 申 哉 、 無 覚 束 奉 存

上のままだと、確かにやっぱり取っつきにくいですね。

ということで、渡邉五郎三郎先生の現代語訳からご紹介します。

渡邉五郎三郎先生による 現代語訳

嚶鳴館遺草 巻第五

つらつらふみ 君の巻

(冒頭部分抜粋)

 よくよく世の中をご覧になると一般に高い地位の人や貴い家柄の人には知恵もあり、世の中の羽状もよく判り、徳業のすぐれた人というのは稀で、却って地位も低く身分の賤しい人の中に知恵も人より勝(すぐ)れ、徳業においても世間に尊ばれている人が、絶えず出てくる理由がよく納得できないので、それについての私の意見を聞きたいとの仰せ、よく承りました。

 先づ最初に君主という高貴なお立場にありながら このような点に御気づかれましたこと、日頃の御好学御読書の結果と深く感銘いたしました。

私の如き浅学未熟な者の考えがお尋ねに叶いますかどうかわかりませんが、率直に述べさせていただきます。失礼な言葉があるかもしれませんが、何卒お許しください。

ここまでが、上の東海市ホームページの部分ですね。

現代の私たちには、やっぱりこのほうがなじみやすい。

先生、ありがとうございます。

 先ず人と申すものは、上は天子様 領主様の高貴な身分の方から、町中や田舎の卑賤なものに至るまで教えによって一人前の人間となるものであります。 

と続きます。

この渡部五郎三郎先生の『名君上杉鷹山を導いた細井平洲の人間学 嚶鳴館遺草 私解』の続きを知りたい!というご希望がありましたら、いいね!ボタンを押してくださいね。

励みになります。

菊作り大根作りにみる人づくり」(細井平洲『嚶鳴館遺草』についてのお話です

「菊作り大根作りにみる人づくり」(細井平洲『嚶鳴館遺草』)についてのお話です
細井平洲(享保13年(1728年)-享和元年(1801) )は、上杉鷹山が師と仰いだ江戸時代の儒学者です。 弟子には「寛政の三...

師たるべきもの、志行い正しく偏見固執なく博識、治乱興亡人情事変に詳しく、善く導くことのできる人であるべき。:細井平洲

師たるべき人は、志行い正しく偏見固執なく博識、治乱興亡人情事変に詳しく、善く導くことのできる人であるべき。:細井平洲
部下を教育してくれる師匠を雇う際にどういう人にお願いすべきだろうか、という殿様の質問に答えた細井平洲の教え 人を育てるのは、菊...

殿様に学問されてしまうと下の者は大変になると言われるのだがいかがなものかと相談を受けた細井平洲の答え

『嚶鳴館遺草』(細井平洲:渡邉五郎三郎先生訳)~殿様に学問されてしまうと下の者は大変になると言われるのだがいかがなものか、と相談をうけた細井平洲の答え。
名君 上杉鷹山を導いた 細井平洲の「嚶鳴館(おうめいかん)遺草」の現代語訳(渡邉五郎三郎先生訳)を味わいましょう。 殿様に学問され...

主君に諫言をする人物を育てる方法は「道理を知らせること」そのためには学ぶこと:細井平洲

主君に諫言をする人物を育てる方法は「道理を知らせること」そのために学ぶことである。:『嚶鳴館遺草』細井平洲
西郷隆盛も尊敬していた 江戸時代の儒学者 細井平洲。 細井平洲が門人の藩主などとした問答や随筆をまとめた『嚶鳴館遺草(おうめい...

家臣の中に役立つ人材を多く見出し、外部から立派な師を迎えるべし

家臣のなかに役立つ人材を多く見出し、外部から立派な師を迎えるべし:細井平洲
前回、江戸の儒学者 細井平洲の『嚶鳴館遺草』の中から、 主君に諫言する人物を育てる方法『嚶鳴館遺草』(細井平洲) ...

スポンサーリンク
simplicity11
simplicity11

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
simplicity11