古来から人物と言われる人には、根本的に気力・活力・骨力というものがある(安岡正篤)


安岡正篤の語る「人物」像

古来から人物と言われる人には、根本的に気力・活力・骨力というものがある。

これはあらゆるものを生み出す創造的エネルギーであるから、

現実に甘んぜず、必ず実現せんとする何者かを発想する。

すなわち、理想・志を持つようになる。

この理想を持った気力を志気という。

志気は旺盛でなければならないが、現実の様々な矛盾抵抗にあって挫折するものではなく、

一貫性・持続性・不変性を持った実践でなければならない。

これを志操・節操・操履(そうり)という。

理想を持ち、一貫不変の節操を持って生きる人は、

単なる知識ではなく、

何が宜しいか(義)、何が宜しくないか(利)という高い価値判断ができる。

これを見識という。

見識は勇気をもって実践する行為とならなければならない。

その決断力・実行力をもつとき、

これを胆識という。

このように、

人間が旺盛な理想精神に生き、節操・見識・胆識ができてくると、

そこに人間の大きさが生まれてくる。

多くの人を容れることができる。

内容的に言えば、

人生の色々な悩み苦しみを受け入れて、ゆったりと処理していける。

これを識量・度量・器量という。

人間がこのように洗練されてくると、その人らしい品望・風格が出てくる。

これは人間の調和であるから柔らかに、なごやかに、なんとなくリズミカルになる。

これを風韻(ふういん)・格調という。

すなわち、格調・品望の高い人となる。

これは造詣(ぞうけい)の深い人にして、初めて到達する境地である。

(安岡正篤)

スポンサーリンク
simplicity11
simplicity11

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
simplicity11