名儒・古賀穀堂の『自警の二』と『自警の三』を味わいましょう


名儒・古賀穀堂の『自警の二』

「自警の二」は自分に対する警め(いましめ)です。

屈辱、坎壈(かんらん)、薄命、数奇、千辛万苦、皆天命に任す。

恬煕楽易(てんきらくい)、従容(しょうよう)自得し、

分に安んじて固窮し、心広く体胖(ゆたか)に、

縲絏(るいせつ)鞭苔(べんち)も恥と為すに足らず。

絶食無衣、其の楽しみ余有り。

然りと雖も、宇宙を包括し天地を振動するの心、

未だ嘗(かつ)て頃刻(けいこく)も忘れず。

坎–カン、あな
坎壈(かんらん)–道のデコボコ。人生のデコボコ。

恬煕(てんき)–安らかに、朗らかに、

頃刻(けいこく)–しばらくの間

★意味★

屈辱、人生における穴ぼこ、歩いて突然落ちてしまうような状態、薄命、数奇、色々な辛苦は、天命に任すしかない。

自分自身は安らかに、朗らかに、楽しく、あまり難しく考えないで、ゆったりとして自得する。

困っても心乱さず、心広くして態度もゆったりとして、

縄目の恥辱も鞭打たれる刑罰も恥とするに足りない。

食べ物もない、着るものもないという生活の中にも楽しみがある。

だから、どんなに苦労しても貧乏しても平気だ。

しかし、どんなに貧乏しようが窮迫していようが、宇宙を包括し天地を振動する、この人間精神だけが持っている特権を、いまだかつてひと時でも忘れないように心がける。

名儒・古賀穀堂の『自警の三』

「自警の三」は、他人のことをむやみにうらやむことをしないということです。

他の貴富栄利を看(み)るも健羨(けんせん)を生ぜず、趨府(すうふ)を作(な)さず。

他の落魄(らくはく)不遇を看るも軽慢(きょうまん)を生ぜず。

厭棄(えんき)を作さず。

健羨(けんせん)–したたかにうらやむこと

★意味★

他人の出世や稼ぎをうらやんで尻尾を振って行くようなことはしない。

他人が「もうここまでだ、もうだめだ」と落魄(おちぶ)れて、諸鵜も根も尽き果ててしまった、意地を張る力もなく参ってしまったのを見て、おごり侮ったりしてはならない。

忌み嫌って不愉快に思ったりしてはならない。

自警の一

幕末の儒家 古賀穀堂の『自警(じけい)』を読んで、自分を警(いまし)めよう
幕末・佐賀藩に古賀穀堂という儒学者がいました。 古賀穀堂の『自警』(みずからいましめる)という文章を味わってみましょう。 幕...
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