『呻吟語』(呂新吾)から。 徳を身に着けるのに避けるべきもの


呂新吾は、明の時代の哲学者です。

自分への戒め、また箴言を書き記し、収録した自己啓発の書である『呻吟語(しんぎんご)』から、耳の痛い訓話をどうぞ。

『呻吟語』(呂新吾)から

徳に進むものの大忌とは

躁心(そうしん)・浮気(ふき)・浅衷(せんちゅう)・狭量(きょうりょう)、

この八文字は徳に進むものの大忌(だいき)なり。

この八字を去るに只(た)だ一字を用い得(う)。

曰(いわ)く静(せい)を主(しゅ)とす。

静なれば即ち凝重(ぎょうちょう)なり。

静中の境(きょう)は自ら是れ寛闊(かんかつ)なり。

註)

躁心–落ち着きのない騒がしい心

浮気–浮ついた気持ち

浅衷–浅はかな心

狭量–狭い度量

★意味★

去るべきものは「躁心・浮気・浅衷・狭量」の八字であり、

そのためには「静」になることが大切で、

そうすると精神・生活にゆとりが生まれてくる。

沈静とは

沈静は緘黙(かんもく)の謂(い)に非(あら)ざるなり。

意・淵涵(えんかん)にして態(たい)・問正(かんせい)なる、

此れを真の沈静と謂う。

終日言語し、或は千軍万馬の中に相攻撃し、

或は*人(ちょうじん)・広衆(こうしゅう)の中に繁劇(はんげき)に応ずるも、

其の沈静たるを害(そこな)わず。

神(しん)・定まれるが故なり。

一たび飛揚(ひよう)動擾(どうじょう)の意あらば、

端然(たんぜん)終日寂(じゃく)として

一語(いちご)なしと雖(いえど)も、

而(しか)も色貌(しきぼう)自(みずか)ら浮く、

或は意・飛揚動せずと雖も、

而も昏々(こんこん)として睡(ねむ)らんと欲するは、

皆沈静と謂うことを得ず。

其の沈静底(ちんせいてい)は、自らこれ惺々(せいせい)として、

一段全幅の精神を包んで裏に在るものなり。

★訳★

沈静とは、単に口を閉ざしてただ黙っていることを言うのではない。

心が浮つかず、態度がゆったりしていること。

これが本当の沈静である。

一日中しゃべりまくり、あるいは、戦場の中で激しく走り回ったり、大勢の中で荒々しく動いたりしていても、沈静というものを損なうことはない。

なぜなら、心が落ち着いているからである。

逆に少しでも心が上ずったり乱れたりすれば、一日中端座して沈黙をしていても、自ずからそれが表情にあらわれ、ぼんやりとして、眠くなったのでは、これは沈静とは言えない。

本物の沈静というのは、心がすっきりと冴えわたり、その中に生き生きとした働きを包み込んでいる状態をいう。

参考)

渡邉五郎三郎先生 講演録『安岡先生と人間学』

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