海軍省練習兵用歴史教科書の巻末にあった「年表」は、これぞあってほしいと願っていたものでした。


昨日、令和元年11月9日に、天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典が行われました。

集まった人々の慶びの表情、SNSに流れてくる様子に、日本に生まれてよかったと思った人も多いのではないでしょうか。

令和の時代が、皆が幸せに暮らせるよき時代となりますように。

そのためには、一人一人自分を律して生活していかなければならないですよね。

海軍省練習兵用歴史教科書の巻末にあった「年表」は、これぞあってほしいと願っていたものでした。

さて、昨年から1年かけて海軍省練習兵用歴史教科書(昭和19年刊)のベタ打ちをしてきました。

海軍さんの歴史教科書 目次

海軍さんの歴史教科書「目次」
海軍省教育局の練習兵用の歴史教科書を見つけました。 200ページ程の内容。簡潔にわかりやすく、 物語のように書かれてあります。 ...

この歴史教科書を一読すると、日本の国がどういう国で、それぞれの時代にどういうことが起こったのか、ストンと体に入ってきます。

巻末に、「太平洋における列国海上権力の消長」というグラフのように見える年表、

皇室御略系」そして「年表」がついています。

これを漫然と眺めているだけでも、色々な気づきを得ることができます。

いろんな時代に様々な人が詠んできた和歌、その背景・意味・想いなどを知ろうとすると、必ずと言っていいほど天皇の御存在があります。

例えば、大化の改新は孝徳天皇の時なんだなぁ、とか、白村江の戦いは天智(てんじ)天皇の時なのかぁ、、とか、ね。

宮内庁のページでみつけた「天皇系図」を印刷して、具体的出来事をそれに書き込んでいっているのですが、書ききれなくて、「天皇ごとにこの年はこういうことがあったという年表ってないのかなぁ、、その時海外ではこういうことがありました、というような年長が欲しいなぁ、、」と思っておりました。

ところが、

なんと、あるじゃん!ここに!

戦争に負ける前は、きちんと天皇ごとの年表があって、みんなそれで学んでいたんですよ。

敗戦後、この年表を学ぶことを奪われていたのですね、私たち。

なんだか、やるせない。

そして、戦前この教科書で学べた人を羨ましく思いました。

後柏原天皇、後奈良天皇は、践祚後21年、10年後に即位の礼を行われました

巻末についていた年表は、このようなものでした↓

後柏原天皇と後奈良天皇の部分を大きくしてみますね。

後柏原天皇は、践祚(せんそ)後年経ってから即位の礼を行われたと記述があります。

また、次の後奈良天皇は、践祚後10年たってから即位の礼を行われています。

今上陛下は、践祚と同じ年に即位の礼をとり行われましたけど、いつもそういうわけではなかったのですね。

後柏原天皇の御代には、ポルトガル人がはじめて支那に来たり、ルソーの宗教革命、マゼランがフィリピンに来る、という出来事があったと、年表に記述があります。

後奈良天皇の御代では、ピサロがペルーを征服する、ロシアのイヴァン4世がロシア皇帝となのり、シベリヤ侵略の緒を開くとあります。

海外が騒がしくなってきた時期なのですね。

どうして、後柏原天皇、後奈良天皇の時に即位の礼が遅かったのか、興味がありますね。

年の数え方は「皇紀」

さて、お気づきになられたかもしれません。

表の中の「ご在位年間」とか「年号」「紀元」、おかしくない?って。

海軍省練習兵用歴史教科書の本文の年号もそうなのですが、年号は「皇紀」になっています。

敗戦までは、日本の歴史は日本の年号「皇紀」でカウントされていた、という事実。

当たり前といえば、当たり前。

だけど、なんだか、不思議な感覚。

これが、敗戦での「分断」の一つなのだなと、悔しくなります。

戦前と戦後が繋がっていない、分断されている。

それは、こんなところにも感じることができます。

悲しい。

悲しいけれど、悲しんでばかりもいられない。

紡がないと。

令和の時代は、分断され民族精神の核を失ってしまった私たちの国日本の歴史を、事実に基づいて紡ぎなおしていく時代にすべく、一人一人が身を引き締めて学んでいかなければならない時代だと痛感します。

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