幕末の志士 真木和泉(まきいずみ)の説く《人物》。特に「学問」「志才気」「節義」についての講話です


幕末に真木和泉(まきいずみ)という志士がいました。

真木和泉は、久留米水天宮の祠官(しかん)でした。

会沢正志斎の『新論』を読んで感奮して水戸に行き、会沢正志斎に師事します。

幕末維新の時、元治(げんじ)元年(1864)、天王山の戦いに敗れて自刃(じじん)します。

享年52歳。

辞世の句「大山の峰の岩根に埋めにけり わが年月の大和魂」

真木和泉はとても風格のある識見の高い人で、九州(鎮西)一の風格と言われました。

真木和泉の説く「人物」とは

真木和泉が、「人物」というものについて『何傷録(かしょうろく)』の中で、

「学問」「志才気」「節義」「威儀」「洒落」「斡旋の才」「文武」「誠」について述べています。

この中から、「学問」「志才気」「節義」についてご紹介します。

1.)学問

人と生まれては、高きも賤しきもせねばならぬものは学問なり。

学問せねば我が身に生まれついたる善あることも得知らずして、

他の人の徳あるもなきも弁えず。

また昔を盛りなりとも今は衰えたりとも知らず。

徒(いたずら)に五穀を食いて、前むきてあゆむばかりのわざにては、

犬猫といわんも同じ異なり。

2.)志才気

学業は志才気の3つなければ成就せず。

まず士たらんものは志を高く大に立つべし。

志を高大に立つれば自ら才もます者なり。

才あれば読書の勤めはさらなり。

万事の学習思うようになるなり。

左様に勤めれば知見日々に広くなりて気をもつよく精神もさわやかになる。

気力強くなれば又自ずから志も太くなり、志太くなるままに才もまさり、

才まさる儘に気はいよいよ強くなりゆくなり。

此の3つのもの相互に助けて、学業は思わず知らず成就す。

固(もと)より学業というもの外のものにあらず。

人たる道を知りて人たる事業をなさん為なり。

国民の内にて士というものは、心を労して君を輔(たす)け、

天下国家を平治すべきものなれば、学問なくては一日も立つべからず。

3.)節義

士の重んずることは節義なり。

節義は例えていえば人の体に骨あるが如し。

骨なければ首も正しく上にあることを得ず。

手も物をとることを得ず。

足も立つことを得ず。

されば人は才能ありても、学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。

節義あれば不骨不調法にても、士たるだけの事にはことかかぬなり。


「節義」は「骨」。

最近の世の中の風潮、特に国会においてその酷さは目に余るものがありますが。

法律に書いていないからやってもいい、と道義にもとる行動をして恥じない人が増えているように感じます。

何をするにしても、その根底・芯に「節義」倫理観、平たく言うと「お天道様がみている」という戒めの気持ちがないとまともなことはできない、そんな当たり前のことが最近忘れられているような気がします。

私たちの社会に、「骨」を取り戻さなければなりませんね。

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  1. […] 前回、幕末の志士 真木和泉の「学問」「士才気」「節義」についての講話をご紹介しました。 […]