幕末の志士 真木和泉(まきいずみ)の説く《人物》~その3「指導者、人物には洒落(しゃらく)がなければならない」~


引き続き、真木和泉の『何傷録』から。

幕末の志士 真木和泉(まきいずみ)の説く《人物》~その3「指導者、人物には洒落(しゃらく)がなければならない」~

胸懐は洒落(しゃらく)とあらまほしきことなり。

これは大から人の資質によることなれど、平生の習にても如何にもなる者なり。

徳あるもの先づは洒落なる者なれど、おのづから一個の工夫ありと覚え侍る。

石勒(せきろく)が大丈夫磊々(らいらい)落々とし日月の皓然(こうぜん)たるがごとくなるべしと言える、面白き辞なり。

末の世の習にて兎角胸襟(きょうきん)狭隘(きょうあい)、懐抱(かいほう)忌刻(きこく)にして万事疑猜(ぎさい)多く、よく気のききたる様なれども、せわせわ敷くして人も嫌い、吾身もとかう気遣多く苦心することあり。

とても世にあらんかぎり首尾きづかいのみせんも無益の事なり。

丈夫たらんものは世俗に所謂大竹を打割りたらん様に磊塊洒落(らいかいしゃらく)とあれば、出て人に交り、入りて家人に接するに、おのづから彼よりも吾れに化して忌刻なるものもさらさらとなるものなり。

生涯にていかばかりの得なるべき。

これ長寿を祈る一助にもなりぬべし。

註)

磊々落々(らいらいらくらく)–心が大きく小さなことに拘らないさま

磊塊(らいかい)–胸中に積み重なった不平不満の事

忌刻–嫉妬深く薄情

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