釣りに行くと言って釣り竿一本持って家を出、台湾を救いに行った男 根本博中将。『この命 義に捧ぐ』(門田隆将著)にみる人間の生き方。


「釣りに行ってくるよ」と釣り竿1本持って家を出て、その足で大海原を小舟で台湾まで行き、1949年の金門島の戦いで共産党軍の侵攻を阻止して台湾を死守。

そして、釣り竿1本を以て「ただいま」と家に戻って来た男の話を、聞いたことがある人もいるかと思います。

釣りに行くと言って釣り竿一本持って家を出、台湾を救いに行った男 根本博中将。『この命 義に捧ぐ』(門田隆将著)

門田隆将さんの『この命 義に捧ぐ』。

この本は、みんなに読んでほしいと思います。

こんな男、いるの?

凄すぎない?

そう思うに違いありません。

根本博中将。

根本中将は福島県白河の出身。陸軍幼年学校、陸士、陸大と進んだエリート軍人です。

終戦の詔。武装解除命令をうけた部隊の対応は

昭和20年終戦の詔で、各地の日本軍は武装解除を行うよう命令を受けました。

武装解除命令を受けた各地の軍隊の苦難はいかばかりであったでしょう。

北方では、ロシア軍が侵攻してきてそれを迎え撃った占守島の戦いがありました。

占守島の戦いのおかげで、北海道をとられることがなかったと言われていますが、

その陰で、何万もの兵士や一般人がシベリアに抑留され、5万以上もの方が亡くなりました。

知られざるシベリア抑留の悲劇 占守島の戦士たちはどこへ連れていかれたのか

また、関東軍ははやばやと武装解除をしたため、満洲にいた日本人居留民は、虐殺、レイプ、掠奪等本当に悲惨な目にあいました。

『竹林はるか遠く』という本では終戦時11歳だったヨーコが朝鮮半島から引き揚げてくるまでの決死の体験などが描かれていて、涙なしで読むことはできません。
竹林はるか遠く―日本人少女ヨーコの戦争体験記

その時、関東軍の隣にあった駐蒙軍の司令官だった根本博中将は、最後までソ連軍への武装解除を拒否し、「邦人を守り抜く」と決意し、内蒙にいた4万人の在留邦人を帰国させました。

その根本博中将が、どうして戦後軍隊が解体させられていた中で、1949年台湾まで小舟で密航し、金門島の戦いで毛沢東率いる中国共産党軍の上陸を防ぎ台湾を守ったのでしょうか。

それは、終戦時の蒋介石に対する恩義に報いるためでした

蒋介石というと、台湾で本省人を大虐殺したりと酷い独裁を行いましたので、なんで蒋介石に恩義を感じたのだろうと、不思議に思っていたのですが、

実は敗戦時、蒋介石の発言のおかげで日本の国体である天皇制の存続がつながったのだそうです。そのことに根本中将は感謝していたそうです。

カイロ会談

1943年11月に「カイロ会談」が、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、中華民国の蒋介石の間で行われました。

ここで、連合国側の「日本の無条件降伏を目指す」こと、「北海道、本州、九州、四国の四島のみを日本の領土とする」ことが定められたのですが、この会談の中で蒋介石は天皇制についての意見を述べ、それが天皇制の存続に繋がりました。

根本博中将の蒋介石に対して持っていた恩義とは、

・4万人の邦人と35万将兵を守り日本に帰してくれたこと

・カイロ会談で「天皇制については日本国民の決定にゆだねるべき」と主張し守ってくれたこと

根本博中将は、この2つの点で蒋介石に恩義を感じ、「お役に立つことがあればいつでもはせ参じる」と言っていたそうです。

『この命 義に捧ぐ』にそのあたりの事も載っています。

この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡 (角川文庫)

私感

蒋介石が窮地に陥った時、根本中将は恩返しに行ったのですね。

費用捻出のため少ない財産を売り払って、大海原を小舟で密航して台湾に行き、骨をうずめる覚悟で台湾のために戦う。

根本中将の行動には、微塵も私欲がないんですね。

そもそも”恩義”というのも、日本の国体を守ってくれたことに対する感謝の念です。

こういう男が、昔の日本にはいたんですよね。

昔の人たちがどのように考え行動して来たのかについて、私たちはもっと知らなければならないし、学ばなければならないと思います。

先人の教えに学んで、自らを律し、次の世代に伝えていく。

私たちに求められていることだと痛感します。

それはそうと、11/18の 虎ノ門ニュースに門田隆将さんが出演していて、

根本中将の話をしてくださっていました。

番組中ほど位からです。わかりやすく、理解が深まります↓

★大東亜戦争敗戦後の台湾が、どんな歴史を歩んできたのでしょう。↓

『台湾人と日本精神』蔡焜燦(さいこんさん著)

『台湾人と日本精神』まるでおじいちゃんに話を聞いているみたい[#20]
平成29年7月に、蔡焜燦(さいこんさん)という台湾人のおじいちゃんが90歳で亡くなったんだ。かれは、日本統治下の台湾で日本の教育を受け、...

コメント

  1. […] 事務所にいた駐在武官の根本博少佐も金庫の鍵を要求され、拒否すると銃床で腰部を殴打された。 […]