「紀元節」と「皇紀」、そして東郷平八郎元帥が嘆いていた西暦の使用のお話です


「第6回小学生百人一首大会in郡山」は、令和2年2月11日に開催が確定しました。

2月11日「建国記念の日」は「紀元節」。令和2年は神武天皇が即位された年から2680年。

第6回小学生百人一首大会を開催する2月11日は「建国記念の日」です。

私たちが「建国記念の日」と呼んで親しんでいるこの日は、神武天皇が橿原で即位なさった日ですね。

昔は「紀元節」と言ってお祝いしました。

そして、この日から数えて今年 令和元年は2679年目、

日本独自の暦 皇紀2679年です。

日本独自の紀元の暦数

皇紀というのは、日本書紀の紀年に基づいて神武天皇即位の年を元年と定めた紀元のこと。

明治5年に制定されました。

明治5年、政府は太陰太陽暦から太陽暦への改暦を布告し、その6日後に神武天皇即位を紀元とすることを布告したのですね。

そして、

昭和15年(西暦1940年)には、紀元二千六百年式典を国民一丸となってお祝いしました。

ことふみ郡山では、

「海軍練習兵用歴史教科書」と14歳頃の学生が学んでいた歴史書を紹介していますが、

その記述は、「年号(皇紀)」となっています。「年号(西暦)」じゃないんですよね。

はじめはこの数字なんだろう、と不思議に思っていました。

気づいた時には、驚いたと同時に感動!

例えば、大化の改新のところの記述はこんな感じです↓

(3)大化改新(たいかのかいしん)

~蘇我氏の滅亡~

国家革新の御事業半ばにして 聖徳太子が薨去(こうきょ)せられてから、蘇我馬子(そがのうまこ)は 独り権勢を擅(ほしいまま)にし、その子蝦夷(えみし)、その孫 入鹿(いるか)になって不臣の行為は極まるに至った。

欽明天皇の皇子 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は これを見て 中臣鎌足(なかとみのかまたり)と謀り給い、第35代皇極天皇(こうきょくてんのう)の4年(1305)、入鹿を御親(みずか)ら誅し給うた。蝦夷(えみし)も 家を焼いて自殺したので、蘇我氏も遂に滅んだ。

「第35代皇極天皇4年(1305)」

↑この1305年は、皇紀1305年。西暦で言うと645年ですよね。

この記述かっこいいなぁ~~~。

(青–天皇の在位、橙–皇紀、緑–西暦)

東郷平八郎元帥も案じていました、西暦を使う人が増えたことを

キジバト通信班というサイトで紹介してくださっていた東郷平八郎の言葉と思しきもの。

東郷平八郎の時代から、西洋かぶれを嘆いていたって、なんだか新鮮だったので、

ご紹介させていただきます。

 『元帥 東郷平八郎』(伊藤痴遊/郁文舎出版部)から

 昨今の日本人は、西洋かぶれがして、一にも西洋 二にも欧米といった調子で、日常の言葉の上にさえ西洋の言葉を用いるようになって来た。
私は、そういう傾向を悪い事であるという程には見ていないが、良い事だとも思っておらぬ。出来ることならば、日本人らしくあって欲しいと思っておる。
どうせ西洋の科学を取り入れて学問させる世の中になったのだから、ある程度まではそうした事を認めるほかはないけれど、左迄に必要のない場合にまで、西洋の言葉を使う事はどんなものであろうか。
日本国という事を根本に置いて考えて来る、と。
これをよい傾向として認める事は出来ぬ。
日本には、父、母という言葉があるにも拘わらず、パパママと呼ばせているのはどういう訳だろうか。
何を苦しんで、そこ迄西洋かぶれにならなければ納まらぬのであるか。
それらの人の本心を疑うのである。
なお甚だしきに至っては、日本の事を日本の文字で日本人に見せる場合、西暦を用いておる人がある。日本には神武紀元の暦数があるのだから、それを用いればよいのであって、あるいは明治とか大正とかいうように、その時の年号を呼びかけたらよいではないか。
もし、西洋の人に日本の事を示す場合には西暦を用いる必要があろう。
それにしても、同時に日本の暦数を書き入れて置くのが日本人として当然の措置であると、こういう風に私は考えておるのだが、今の学者だとか新しい人だとかいう人達は日本人放れがしていて、前に言うた通り家庭の中にまで西洋の言葉を用いなければならぬ、というようになって来たのは、まことに困ったものである。
それであるから、日本人本来の精神あるいは思想の上にまで悪い響きを及ぼして、昨今の如き世相になって来たのだ。
それ以上に、例を挙げていう事は差し控えるが、政治や教育の任に当たっておる人は大いに心しなければならぬと思う。
  (『元帥 東郷平八郎』(伊藤痴遊/郁文舎出版部) 初版 昭和九年)
※上記文章は
http://fujimotoyasuhisa.sakura.ne.jp/bunsho/koukitaiouhyou.htm
からお借りしました。

東郷平八郎元帥は、GHQから教科書で教えてはいけないと言われた偉人です

東郷平八郎元帥は、日露戦争で日本を勝利に導いた英雄ですが、

敗戦後、教えてはいけないと教科書を黒塗りにされた偉人の一人です。

どうして、私たちは学校で東郷平八郎元帥について教わらないのか、詳しい説明をこちらをしていますので、ご覧いただければ幸いです。

教科書から消えた言葉~GHQによる「ダメ!」

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ぼくね、学生の頃、日本史に全く興味がなかったんだ。 高校の時も、世界史はいっぱい暗記したけど、日本の歴史は、全然頭に入ってこなくて、大嫌い...

私感

最近、私たちは毎日毎日日本や先人たちを辱め貶めるような言説を湯水のごとく浴びせ続けられているので、昔のことをいいな、と思うことが悪いことのような 後ろめたいような錯覚に囚われますが、自分たちの国が、2600年以上も続いていて独自の暦を持っていたことって、超絶凄いこと、世界に誇れることですよね?

紡いでいかないといけませんね。

コメント

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