東郷平八郎元帥が建立した有栖川宮威仁親王殿下像が「天鏡閣(福島県)」にあります。


東郷平八郎元帥(弘化4年/1848~昭和9年/1934)は、日露戦争を勝利に導いたことで有名な軍人さんです。

東郷平八郎元帥が総代となって有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下の銅像を建立しました。

その像が福島県猪苗代町翁島 天鏡閣 にあります。

横の碑を元に解説します。

有栖川宮威仁親王殿下が、磐梯山を背に皇居をご覧になられている像の凛々しさ

有栖川宮は、江戸時代初期に創立され、初めは高松宮と申されていました。

有栖川宮威仁親王殿下(文久2年/1862~大正2年/1913)は、第8代幟仁(たかひと)親王の第二皇子です。

明治7年(1874)に海軍兵学寮に御入学なされ、明治13年に英国東洋艦隊旗艦で英国グリニッジ海軍大学校に留学、明治18年に御帰朝されました。

その後、日本海軍の基礎確立に率先してお取り組みになられ、日清戦争(1894-1895)日露戦争(1904-905)には艦長、または大本営の帷幄(いあく/作戦本部)で著功を御樹てになりました(著しい功績をおあげになりました)。

日清日露戦争の間は、東宮(後の大正天皇(明治12年/1879~大正15年/1926)を輔導(ほどう/正しい道に導くこと)の大任を負いました。

明治期には、たくさんの学術技芸等文化振興に不滅の功績をお樹てになりました。

薨去(こうきょ)後、東郷平八郎元帥を総代として銅像建設がなされ、

大正10年(1921)、高さ15mの円柱の上に海軍正装をお召しになって皇居を望まれる勇姿が、築地の海軍参考館前に建立されました。

この銅像は、大正12年(1923)の関東大震災で海軍参考館が倒潰(とうかい)した時も微動だにしませんでした。

戦後有栖川宮の祭祀承継された高松宮宣仁親王殿下のご意向により、福島県猪苗代町翁島の威仁親王別荘跡に移設されました。

天に届かんばかりにそびえたっています。

有栖川宮威仁親王殿下別荘が、福島県猪苗代町翁島にある天鏡閣です。

天鏡閣は、有栖川宮威仁(ありすがわのみや・たけひと 1862-1913)親王が、明治40年(1907年)猪苗代湖畔を巡遊された際、あまりに風光明媚な景色に感銘を受け、別邸として建設されました。

国の需要文化財に指定されています。

大正13年には、昭和天皇が御成婚後初めての旅行でひと夏をお過ごしになられた場所でもあります。

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