逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり(権中納言敦忠[四十三番歌])


逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり

(権中納言敦忠(906-643)[四十三番歌]/拾遺集)

★意味★

あなたにお逢いして契りを交わしてお別れした後の、ますます募る想いに比べれば、昔の恋心などは何も想っていないのと同じだったなぁ。

★歌にまつわるエピソード★

権中納言敦忠は、藤原の敦忠という人のことで、三十六歌仙の一人。管弦楽にも優れた人だったそうです。

お父さんは、藤原時平。遣唐使廃止に力を尽くした菅原道真を九州大宰府に追放した人です。

権中納言敦忠は、醍醐天皇の后 穏子(おんし)に仕えていた右近と恋仲にあった時期があり、小倉百人一首におさめられている右近の和歌「忘らるる身をば思はずちかひてし 人の命の惜しくもあるかな」は、自分のもとを去って行ってしまった敦忠に向けて詠んだものと解説する人もいます。

「私を忘れてしまうのは仕方がないけれど、一度は固く誓い合ったその誓いを破ったことで、神の罰を受けて命を落としてしまうのではないかと心配でなりません」と。

敦忠が38歳の若さで亡くなってしまったのは、神様の罰を受けたからだとか、お父さんが左遷した菅原道真の仕返しをうけたとか、いう解説をする人がいるのも、こういう背景があるからなのですね。

実は、この右近の歌も、様々な解釈があります。自分のもとを去って長年すぎても尚一途に思い続けている女の歌という解説もあります。真逆なんですよね、意味が。。それについては、右近の歌のページでご説明したいと思います。

忘らるる身をば思はずちかひてし 人の命の惜しくもあるかな

忘らるる身をば思はずちかひてし 人の命の惜しくもあるかな[右近/三十八番歌]
忘らるる身をば思はずちかひてし 人の命の惜しくもあるかな (右近/三十八番歌/大和物語) 右近は、醍醐天皇の后 穏子(おんし)に...

さて、権中納言敦忠のこの歌は、愛し合った女性と二度と会えない運命にあいながら、なんとか自分の消息を噂の風に載せて彼女に届けたい、そのために命をかけて努力し地位を上げていった男の真摯な愛の凄さを詠っていると解説する人もいます。

後者の解説が本当なのかな、と思った場合、

右近と別れた後、この女性とねんごろになった。もしくは、この女性と出会い愛し合ったために右近のもとを去ったのかもしれません。

藤原敦忠の役職「権中納言」というのは、徳川光圀(水戸黄門)がこの位を得ていたそうですので、大変な皇位だということが想像できます。

藤原敦忠は、もともとは位の低い「従五位下」という殿上人(てんじょうびと)の役職としては低い身分だったそうです。

藤原敦忠は、25歳の時、第60代醍醐天皇(在位897-930)の皇女 21歳の雅子(がし)内親王と相思相愛になります。

この和歌の詞書(ことばがき)に「はじめて女のもとにまかりて、又の朝につかはしける」とありますので、後朝の朝の心情を相手の女性に届けたものであることが窺えます。

従五位下という身分の低い男と、皇女とでは、当然釣り合いがとれません。

雅子(がし)内親王は、斎宮(いわいのみや)となり、二人は二度と会うことが出来なくなりました。

斎宮(いわいのみや)というのは、伊勢神宮の祭神である天照大御神の御杖代(みつえしろ=紙の意を受ける依り代)で、皇女の中から選ばれました。

現在伊勢神宮の祭主であられる黒田清子(さやこ)さんのお姿をイメージしてもそう異なることはないように感じます。

さて、藤原敦忠はその後、従四位下、蔵人頭、左近衛権中将、播磨守と出世続け、10年後には権中納言に上り詰めたそうです。

メキメキと頭角を現し出世を続ける藤原敦忠の噂は、遠い伊勢まで届いたに違いないでしょう。

そして、権中納言になった翌年に亡くなってしまう。

自分の消息を伝えたい、そのために頑張り超一流になる。

こういう人生もあるんですね。

美しい、と言っては申し訳ないけれど、美しくかっこいいと感じるのは私ばかりではないと思います。

(参考)

ねずさんの 日本の心で読み解く「百人一首」

★『授業で使える「五色百人一首」小話集』(小宮孝之著)

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