正倉院に最初に入った西洋人クリストファー・ドレッサーは、西南戦争(M10)の様相も体感したらしいというお話です。


「クリストファー・ドレッサーと正倉院宝物」展を、郡山市立美術館にみて来ました。

正倉院に最初に入った西洋人クリストファー・ドレッサーは、西南戦争(M10)の様相も体感したらしい

クリストファー・ドレッサー(1834-1904)は、イギリスの装飾デザイナーで、正倉院の建物に入ることを許された最初の西洋人です。

明治政府は明治6年(1873)、ウィーン万国博覧会に参加。日本からの品々を展示し、ヨーロッパの沢山の産物を購入しました。

万国博覧会終了後に日本に持ち帰る際、荷物を積んだ船ニール号が伊豆沖で沈没してしまいます。

このニュースを聞いたイギリスのサウス・ケンジントン博物館館長サー・フィリップ・オーウェンが日本政府にヨーロッパの工芸品の寄贈を申し出て、300点以上もの品が輸送されることになりました。この輸送を引き受けたのが、クリストファー・ドレッサーです。

ドレッサーは明治9年(1876)に来日、4か月ほど日本滞在し、その間明治政府のアドバイザーも務めました。

日本国内視察旅行の際、1977年2月3日奈良を訪れたドレッサーは、正倉院の宝物を調査する光栄に浴します。正倉院宝物の技術の高さ、千年以上も綺麗な状態で保存されていることに驚いたことが彼の『日本』という書物に記載されているそうです。

ドレッサーは、日本の工芸品は西洋で売るには中途半端な品質だからなかなか難しいので、パーツを他の用具の一部として生かす方法で制作して輸出するのがいいのではないかとアドバイスしたそうです。

展示物の中にひときわ私の目を引いたのは重厚で荘厳なスプーンやホークでした。

これは、日本刀の拵(こしらえ)に使われていた「小柄(こづか)」をスプーンやフォークの絵の部分に彫り込んで製品化するというドレッサーのアイディアを形にしたものです。

明治9年廃刀令で飾り金具作りの職人の仕事がなくなった時期に、技術をパーツとして他のものに使うということは、職人たちに希望を与えたことは想像に難くありません。

また、若者が刀を背負って道を早歩きしている亀井竹二郎の絵が展示されていました。

とても印象的だったのでなんとかご紹介したいと思ったのですが、写真撮影は当然NGですし、叶いませんでした。話は逸れますが、著作権って何だろうと改めて思いました。こういう歴史的な絵は広く知ってもらうための努力をする義務は所有者・美術館側にはないのかしら、、と。

どうしてそう思ったかと言いますと、明治10年に描かれた『解雇東海道五十三驛眞景』という絵は、西南戦争で若武者が足早に目的地に向かっている絵なんですよね。

ドレッサーが日本に滞在していた時に、西南戦争がありました。

西南戦争について学ぶ時にこういう絵もみることができたなら、理解も深まるのにと残念に思うのです。美術館の倉庫にしまってあって、展示の時だけ行った人だけ見れるというのは、宝の持ち腐れじゃないかなぁ、、と。

ただでさえ私たちは歴史の資料や写真を知る機会が少ないのだから、せめて共有できる手段があってほしいと残念に思います。

話を戻します。

ドレッサーの日本滞在は、彼の作品に大きな影響を与え、特に陶磁器には日本美術の要素が現れています。

ドレッサー展は令和2年1月26日まで、郡山市立美術館で開催しています。

ご興味のある方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

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