「征韓論」は、西郷隆盛を韓国に派遣するかしないかという議論がそもそもだったらしい。


『明治裏面史』(伊藤痴遊著)という本を読んでいます。

伊藤痴游は、慶應3年(1867)~昭和13年(1938)に生きた政治家や講釈師、ジャーナリストだった人。明治・大正・昭和の時代を生きた人の書いたこの本は、参考文献などを元に書く本とは一味違うように感じます。

帯にある言葉を紹介します

日本の歴史を知らぬ青年が多いようだ。

・・・

その人の思想はどんなふうになるか懸念に絶えない。

そこで私は維新前後から明治にかけての歴史を人物本位で書くように努力して、順序を追って纏めた。殊に、たいがいの人は口に出さないようなことまで相当にさらけ出している。非難が起こることはもとより覚悟のうえである。(著者序文より)

ある程度信憑性があるのではないかと、わくわくしながら読んでいます。

征韓論

征韓論は西郷隆盛を韓国に派遣するかしないかという議論がそもそもだったらしい

維新政府になってからの朝鮮の無礼

朝鮮は、豊臣秀吉の壬辰(じんしん)の役以降、毎年二度の朝貢を日本に対して行っていました。

ところが明治政府になったら朝貢の礼をしなくなったそうです。

それで、日本政府は朝鮮政府に新政府が出来たので、今まで通り朝貢の礼はするように通告を発したところ返事がきました。

そこにはこのように書いてあったそうです。

「今日までは徳川政府と約束して交際をしていたのである。

ところが徳川政府が変わった以上は、今までの約束もまた変えなければ、日本政府との関係はなくなるのだ。

この度の通告によれば、新政府と今まで通りに交際せよとのことであるが、それは断じて御免蒙る。

徳川将軍とは深い交際があっても、貴国の天子とは何らの交渉もなかったのであるから、この際貴国との関係は、一時断絶したものとご承知願いたい」

この返事に対して、明治新政府は今まで通り朝貢するようにきつく交渉するも、朝鮮政府は完全拒絶。

当時の朝鮮国王の李熙(りき)は名ばかりの王で、政府の全権を握っていた太院君(たいいんくん)は腹が座っていて好戦的な気質があったため、日本政府の要求を尊重する気持ちなど微塵もありませんでした。

そういう朝鮮の態度に、もとをただせば「武士」である日本政府の役人がたじろぐはずもなく、今風の言葉で言えば、「生意気だ!やっちまえ!」という雰囲気が政府内外に漂ったそうです。

そこが、征韓論の始まりだったとのこと。

それからのすったもんだについては、登場人物も多く複雑なので、『明治裏面史〈下巻〉』を読むことをお薦めします。興味深く読み進めることができます。

*話はそれますが、豊臣秀吉の壬辰の乱って、今は言わないのでしょうか?

秀吉の朝鮮侵略 というおどろおどろしい単語がネット上に見受けられて、

なんだか言葉を壊されていて悲しみと怒りとやるせなさがまじりあいます。

日本の歴史は、日本目線で書くのが筋だと思いますのに。

明治裏面史〈上巻〉

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