「伝統」は「歴史の智慧」である:西部邁先生


私たちの社会から綺麗な日本語がどんどん消えていく。

そんな風に感じることが増えていませんか?

言葉は言霊だと言いますよね。

素敵な言葉を使っていると心も綺麗になるし、良い流れに繋がっていく、というような意味だと解釈しています。

言葉には、その言葉自体に思想が含有されている、はず。

なのに、最近やはり何かがおかしい。

「言葉」について考えてみることも大切ですね。

ここでは、「伝統」と「慣習」について、西部邁先生のご著書に興味深い考察があったのでご紹介します。

「慣習」は「慣(かさ)ねて習うこと」、「伝統」は「糸の先(はじめ)が筋となって伝えられること」

日本語で 「慣習」は「慣(かさ)ねて習うこと」、「伝統」は「糸の先(はじめ)が筋となって伝えられること」を意味します。

英語では「custum」は「コスチューム(慣用の衣装)のような習わしのこと」、「tradition」は「昔から今へと運ばれて(トラデーレ)きたもの」を指します。

これを、深く読み込んでみると、

「慣習」は、歴史によって習得させられ伝承され運搬されてきたものの実体。

その実態のうちに内包されている集団的な精神の形式(フォーム)が「伝統」。

例えば、儀式で着る紋服は「慣習」、

その衣服によって表彰されている家計への崇敬の念の在り方が「伝統」。

なるほど。

そして、

「慣習」には、「良習」と「悪習」があります。

例えば、男女の役割分担は良習ですが、男尊女卑は悪習、といった具合です。

この「良習」と「悪習」を判別するための判断基準が伝統という精神形式の精髄であり、それを「良識 good sence」と定義します。

つまり、「歴史の智慧 wisdom」が伝統なのです。

参考)

昔、言葉は思想であった ―語源からみた現代

第6回小学生百人一首かるた大会 in郡山
緊急告知!!!♪★♪♪ エントリー先着30名様に、入手困難といわれた「御歴代天皇系図ファイル」をプレゼントします。(大会当日渡し) ...
スポンサーリンク
simplicity11
simplicity11

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする