「さねさし相武の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」は美智子上皇后陛下のご覚悟に通じる歌~2/11小学生百人一首大会エントリー受付中♪


まずは、『古事記』に出てくるお話から。

第12代 景行天皇には皇子がいました。

そのうちの一人が小碓命(おうすのみこと/のちの倭建命やまとたけるのみこと)です。

倭建命は女性的な優しい面立ちと体つきだったらしいのですが、剛力で、景行天皇から悪さをした兄の大碓命をたしなめるように言われて、なんと、待ち構えてつかみつぶして手足を引き裂いて袋に包んで投げ捨てちゃったりするんです。それで、たしなめてきました、って。

そんな倭建命を疎んじた景行天皇は、倭建命を遠征に出します。従わない相手を退治してこいといいつつ、戦いで倭建命が死んでくれればいい、という狙いがあるんです。生かしておいたら自分も殺されるに違いないと恐れたそうなんです。

戦いを続ける中で出会ったのが、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)です。

さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

★大意★

相模の国の野原で燃え盛る火の、炎のただ中に立って、私の身を案じて呼びかけてくださったあなた、倭建命よ。

★解説★

倭建命が東国の平定に行く途中、相模の国の豪族によって火攻めにあいましたが、この時近くにいたお妃の弟橘比売命に大声で呼びかけ、二人とも脱出に成功します。

その後、倭建命が走水海(はしりみずのうみ)に差し掛かった時、海が荒れ、船が進まなくなりました。

その時、后の弟橘比売命は、神の怒りを鎮めるために荒波の上に美しい畳を投げ入れ、身を翻してが海の中に身を沈めました。

すると海は静かになりました。

その最後の別れの時に、自分の命を助けてくれた倭建命に呼びかけたのがこの和歌であると『古事記』は伝えています。

この絵は、橘媛投身之図(たちばなひめとうしんのず)。明治後期ごろ大浦玉陽(おおうらぎょくよう)が描いたものです(走水神社はしりみずじんじゃ蔵)

美智子上皇陛下の御振舞いには相通ずるものが

さて、時は移ろいて。

「ひめゆりの塔事件」での御行為

昭和50年(1974)に当時皇太子妃でした美智子上皇陛下は、沖縄に行啓遊ばしました。

その時「ひめゆりの塔事件」が起きました。

当時皇太子、皇太子妃であられた上皇、上皇后陛下がひめゆりの塔にお出ましになったときに、過激派が何日も前からひめゆりの塔の近くに潜伏していて、火炎瓶を投げつけたのです。

その時何が起きたか。

皇太子妃殿下は咄嗟に、、

一歩前に出て、手を前に出して皇太子殿下、今の上皇陛下を守ろうとなさいました。

皇太子殿下はびっくりして固まってしまわれ、警備のものも敏速には動けなかった。その時に、美智子上皇后陛下は、咄嗟に一歩前に出て上皇陛下、今の上皇陛下を守ろうという仕草をなさいました。

自分の身を差し出しても殿下をお守りするのだ、いざという時はご自分の命をかけても陛下を守るという強い御意志が、魂の芯の芯まで染み渡られていらっしゃるのだと思います。

弟橘比売命と美智子上皇后陛下

その美智子上皇后陛下が、皇后であらせられた平成10年(1998)にニューデリーで行われた「子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出」というご講演で、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)についてお話されています。

せっかくですので、その部分を引用させていただきますね。

父のくれた古代の物語の中で,一つ忘れられない話がありました。
年代の確定出来ない,6世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は,父天皇の命を受け,遠隔の反乱の地に赴いては,これを平定して凱旋するのですが,あたかもその皇子の力を恐れているかのように,天皇は新たな任務を命じ,皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き,皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。途中,海が荒れ,皇子の船は航路を閉ざされます。この時,付き添っていた后,弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は,自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので,皇子はその使命を遂行し覆奏してほしい,と云い入水し,皇子の船を目的地に向かわせます。この時,弟橘は,美しい別れの歌を歌います。
さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも
このしばらく前,建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは,広い枯れ野を通っていた時に,敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ,燃える火に追われて逃げまどい,九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は,「あの時,燃えさかる火の中で,私の安否を気遣って下さった君よ」という,危急の折に皇子の示した,優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。
悲しい「いけにえ」の物語は,それまでも幾つかは知っていました。しかし,この物語の犠牲は,少し違っていました。弟橘の言動には,何と表現したらよいか,建と任務を分かち合うような,どこか意志的なものが感じられ,弟橘の歌は――私は今,それが子供向けに現代語に直されていたのか,原文のまま解説が付されていたのか思い出すことが出来ないのですが――あまりにも美しいものに思われました。「いけにえ」という酷(むご)い運命を,進んで自らに受け入れながら,恐らくはこれまでの人生で,最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに,感銘という以上に,強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも,愛と犠牲という二つのものが,私の中で最も近いものとして,むしろ一つのものとして感じられた,不思議な経験であったと思います。
この物語は,その美しさの故に私を深くひきつけましたが,同時に,説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。
古代ではない現代に,海を静めるためや,洪水を防ぐために,一人の人間の生命が求められるとは,まず考えられないことです。ですから,人身御供(ひとみごくう)というそのことを,私が恐れるはずはありません。しかし,弟橘の物語には,何かもっと現代にも通じる象徴性があるように感じられ,そのことが私を息苦しくさせていました。今思うと,それは愛というものが,時として過酷な形をとるものなのかも知れないという,やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への,恐れであり,畏怖(いふ)であったように思います。
まだ,子供であったため,その頃は,全てをぼんやりと感じただけなのですが,こうしたよく分からない息苦しさが,物語の中の水に沈むというイメージと共に押し寄せて来て,しばらくの間,私はこの物語にずい分悩まされたのを覚えています。         (宮内庁ホームページより)

沖縄の「ひめゆりの塔事件」でお示しになられたご覚悟は、弟橘比売命の心と相通じるものがあるのではないでしょうか。

とても有難いことだと思います。

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