「高き屋に登りてみれば煙立つ 民のかまどはにぎはひにけり」仁徳天皇の大御心


先の大戦の前は誰もが知っていたのに、今は学校で教わることもない。

知っている人の方が少ないけれど大切な和歌が、実はたくさんあります。

その中の一つをご紹介します。

小学生たちに、「仁徳天皇の民のかまどの話、知ってる?」と聞いたら、

「知らない」という答えが返ってきました。

大人だってしらないものね。(^-^;

それでは、どうぞ。

仁徳天皇の「民のかまど」の歌

高き屋に登りてみれば煙立つ 民のかまどはにぎはひにけり

(仁徳天皇)

★歌の大意★

高いやぐらに登って見渡してみると、あちらこちらから煙が立ちあがっている。

民が焚く竈(かまど)はにぎわっていることだなぁ。

★解説★

第16代 仁徳天皇は「聖帝(ひじりのみかど)」と後に呼ばれるようになったほど立派な天皇であらせられました。

仁徳天皇が国見(高いところに登って国の様子をご覧になること)をした時に、家々からの煙が上がっていなかったので、これは民が食べ物が少なくて苦しんでいるに違いないと、それから3年間、税を取ることをやめ、ご自身も倹約なさって過ごされました。

宮殿の修理もなさらなかったので、宮殿は壊れ放題、破れ放題。

雨漏りを器で受けながら眠るところを探して回るほどだったといいます。

三年後、ほうぼうの家、竈(かまど)から炊煙が満ちるようになったので、民の暮らしが豊かになったとお喜びになられたというお話が『古事記』に記されています。

「聖帝」とお呼びするのは、仁徳天皇だけだそうです。

この和歌は、後の世の人が仁徳天皇の御心を代わりに詠んだものだと言われています。

民のために

さて、仁徳天皇の行った政治は、その後幾百年もの間、理想的な政治として模範となりました。

歴代の天皇は、国民の苦しみをご自身の事としてお感じになられ、ご自身の命を捧げるようなことを何度も繰り返してきました。

例えば、昭和天皇。

昭和天皇は、敗戦後、自分の身はどうなってもいい、責任はすべて自分にある、国民を飢えさせるわけにはいかないので、どうか食料を輸入させてほしいとマッカーサーに頼まれたことなども、同じ大御心です。

この会見で、マッカーサーは昭和天皇を敬服するようになり、対日政策が転換していくのです。

例えば、上皇・上皇后陛下

また、上皇・上皇后陛下は、東日本大震災の時、電気を節約しようと、寒い冬も皇居に暖房を入れなかったという話も風の噂に聞きました。

福島に住む身としては、ありがたさと申し訳なさでいっぱいになったものでした。

この他にも、日本の歴史の中には、国民が苦しむたびに命を投げ出して国民を守ろうとしてきた天皇の歴史、連綿と承継されてきた天皇の大御心があります。

とてもありがたいことですね。

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