小倉百人一首の天皇の和歌をみると「順番」に意味が込められていることがわかります。


昨日、列車時刻表風の「元号」「歴代天皇」を見ていると色々なことに気づく、ということを書きました。

「列車時刻表風 歴代天皇一覧」をそばに於いて百人一首の天皇の御製をみると、、
少し前、SNSで評判になった列車時刻表風「歴代元号表」。 ご覧になられた方もいらっしゃるかと思います。 作成者は大学生ということ...

気づいたことの中から一つ、お伝えしたいと思います。

小倉百人一首の天皇の和歌からは「順番」に意味が込められていることがわかります

小倉百人一首の中には、8人の天皇の御製が収録されています。

一番歌   天智天皇   秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ      
         
二番歌   持統天皇   春すぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山      
         
十三番歌   陽成院   筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる      
         
十五番歌  光孝天皇   君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ      
         
六十八番歌  三条院   心にもあらで憂き世に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな      
         
七十七番歌  崇徳院   瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ      
         
九十九番歌 後鳥羽院   人もをし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は      
         
百番歌    順徳院   百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり      

下記の表を見てください。

表の中頃、「668年即位の天智天皇」が、一番歌。

二番歌の持統天皇に続き、十三番歌、十五番歌、六十八番歌、七十七番歌が御製です。

天皇の御代の古い順に配列されています。

小倉百人一首は歌の順番に意味はないというようなことも言われますが、

この天皇と御製の並び方を見る限り、

古い時代から並んでいると推測しても、あながち間違いではないのではないでしょうか。

はじまりは

一番歌の天智天皇は、即位前は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)といい、

大化改新に取り組んだ天皇です。

大化の改新で、日本は「シラス国」であることを内外に示しました。

また、はじめて元号をたてました。

そう、日本最初の元号は「大化」です。

そして、、、

おわりは

最後の2首、九十九番歌と百番歌は、壬申の乱に敗れた後鳥羽院と順徳院の和歌です。

承久の乱(じょうきゅうのらん)というのは、鎌倉時代の承久3年(1221年)、後鳥羽上皇と鎌倉幕府の北条義時との間で起こった戦い。

朝廷側の敗北で、後鳥羽上皇は隠岐に流されます。

承久の乱以降、血なまぐさい武家政治へと世の中が進んでいくようになります。

つまり

そう、、、

小倉百人一首は、大化の改新という大改革を成し遂げ、日本が「シラス国」であることを広く知らしめした天智天皇の御代から始まり、優雅で平安な平安時代の様々な抒情・叙景を詠った和歌を収録して社会情勢や人々の心を伝えています。

最後は、何とかしてもう一度朝廷に権威権力を取り戻したいと命がけで戦った二人の天皇の、なんとも淋しい、言葉にならないやりきれなさがにじみ出ている和歌で終わっています。

編者 藤原定家は後鳥羽院に仕えました

更に、

もう一つ付け加えると、小倉百人一首の編纂をした藤原定家(ふじわらのていか)は、

後鳥羽院に仕え、後鳥羽院崩御の2年後、順徳院自裁1年前に亡くなっています。

どのような想いで、平安の世を後世に伝える大切な仕事をなしたのか。

後鳥羽院の生涯をどう自分のなかで理解しようとしていたのか、想像するに余りあります。

小倉百人一首は平安の世を記録した一大叙事詩

このようにみてくると、

百人一首の順番には大切な意味が込められているという説に、軍配が上がるような気がします。

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