至誠惻怛(しせいそくだつ):儒学者 山田方谷が河井継之助に贈った言葉


山田方谷

前回、大政奉還をした徳川慶喜という人物を育てた水戸藩の思想についてお話し、

大政奉還の上奏文の原案を書いた山田方谷という人についても少し触れました。

徳川慶喜が大政奉還をなしえた背景には、水戸光圀、徳川斉昭の訓えあり
水戸の偕楽園では、梅まつりが始まりましたね。新聞にも大きく案内が載っていました。 「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむ...

領民を富ませることが国を富ませ活力を生む

山田方谷は、貧乏板倉藩を7年で財政再建した陽明学者です。

山田方谷には、「領民を富ませることが、国を富ませ活力を生む」という哲学がありました。

改革の目標は、士民撫育。すべては領民(国民)のため。

そして、改革を実現するために「至誠惻怛(しせいそくだつ)」。

真心と痛み悲しむ心を大切にしました。

愛弟子 河井継之助(かわいつぐのすけ)が、山田方谷(やまだほうこく)の元を辞して帰郷する時に、『王陽明全集』を譲り渡したのですが、

その『王陽明全集』の巻末に、このような言葉が書いてあったそうです。(現代語訳です)

まごころ(至誠)と、いたみ悲しむ心(惻怛/そくだつ)があれば、

やさしく(仁)なれます。

そして、目上には誠を尽くし、

目下には愛しみを以て接するのです。

心の持ち方をこうすれば、

物事をうまく運ぶことができると言います。

つまり、

この気持ちで生きることが、

人としての基本であり、正しい道なのです。

河井継之助は、戊辰北越戦争で戦死します。

死ぬ間際、傍らにいた松屋吉兵衛という人に伝言を頼みます。

「汝、山田先生に逢わば、河井はこの場に至る迄先生の教訓を守りたる旨伝言を頼む」

と。

吉兵衛はこの伝言を山田方谷に伝え、山田方谷は黙ったまま何も語らなかったそうです。

徳川慶喜が大政奉還をなしえた背景には、水戸光圀、徳川斉昭の訓えあり
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