「邯鄲の歩」自国の踊りも禄に踊れないのに異国の踊りを覚えようとして結局どちらも身につかなかったというお話(荘子)


100日後に死ぬワニ という4コマ漫画がTwitterで大層人気になっていると聞いたので、みてみた。
 
みる前に、作者さんの想いをなにかで読んだので、すごいなぁ、、なるほどねぇ、、今どきの若者も色々考えているんだねぇ、、なんて感心していた。
 
みて、
 
目の前が真っ暗になった。
 
作品自体は素晴らしいと思う。
コンセプトも継続性もたいしたものだ。
いちゃもんつけるわけでは決してない。
 
そう前置きして警鐘を鳴らしたい。
今の社会全体に対して、ね。
 
 
ワニは、日本語を話している。
が、それは、単語と、それに満たないうめきのようなもの。
そうにしか、私には思えない。
一つの言葉にがっちりと込められた魂のような比喩も、吹き出しの中に凝縮した思想のようなものも感じられないのだ。
 
既に、私たちは自分たちの言葉である日本語で表現する力を失っている。だからと言って英語で思考しているわけでも多くの人はないだろう。
 
「言葉は思想である」
そういうタイトルの本があった。
 
そう。
自分の想いや感情、考えは、言葉を持って初めて表現できる。
言葉を失ったら、思考する”人”ではなくなる。
 
 
英語教育なんてやってる場合かい!
 
と。
せめて英語教育に費やす時間と同等の時間と厚さを、日本語と古典学習に費やすべきだと訴えたい。
 
「邯鄲(かんたん)の歩」という言葉がある。
荘子にある寓話から広まったものだそうだが、このような話である。
 
燕(えん)の国の若者が、まだ自分の国の舞踊も禄にできないのに、趙の都の踊りにあこがれて出てきたのはよいのだが、真似をするうちに自分の国の舞の舞い方も忘れ、新しい異国のものも身につかづ、四つん這いになって返った。
 
日本、いよいよ「邯鄲(かんたん)の歩」が多くなりすぎて、国自体が滅びかけていないか?
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