小倉百人一首に収録されている8首の御製から、奈良平安時代を感じてみる♪


小倉百人一首に収録されている8首の御製から

小倉百人一首には、8首の天皇の御製が収録されています。

1番歌  秋の田のかりほの庵のとまをあらみ わが衣手は露にぬれつつ (38代 天智天皇)

2番歌  春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣干すてふ天の香具山 (41代 持統天皇)

13番歌 筑波嶺の峰より落つるみなの川 恋ぞ積もりて淵となりぬる (57代 陽成院)

15番歌 君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣でに雪は降りつつ (58代 光孝天皇)

68番歌 心にもあらで憂き世に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな (67代 三条院)

77番歌 瀬を速み岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ (75代 崇徳院)

99番歌 人をもし人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は(82代 後鳥羽院)

100番歌 百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり (84代 順徳院)

・小倉百人一首の歌の順番には意味がない

・小倉百人一首は恋の歌が多い

このように思っている人も多いかと思います。

ところが、そういうわけでは必ずしもなさそうなのですよね。

上に列挙した天皇の御製をご覧いただいてもわかるように、代を追って歌が並んでいます。

そして、

それぞれの天皇の時代がどのような時代だったかをみると、

それぞれの歌には、巷の解説書で述べられている以上の深い意味や想いが込められていることに気づきます。

例えば、

天智天皇は、即位前は 中大兄皇子と言いました。

そう、大化の改新で重要な仕事をなされた方ですね。

持統天皇は、天武天皇の奥さんです。

陽成院は、光孝天皇のお嬢さんに恋歌をおくり、奥さんにしています。

三条院は、藤原道真の攻撃を受け苦しまれた天皇。

崇徳院と後白河天皇は、保元の乱で戦いました。

そして、後鳥羽院と順徳院は承久の乱で敗れ配流され、その後武家政治へと時代は移っていきます。

まさに、奈良平安時代の歴史そのものなのですよね。

そういう背景を頭に入れて、ひとつひとつの和歌に込められた意味に想いを馳せると、それぞれの時代の様相と天皇がどのようなお気持ちでその歌を詠まれたのか、どのような御生涯だったのかが垣間見ることができます。

なにげなくかるたをしていた百人一首が入り口となって、奈良平安時代の歴史に誘われていくのですね。

今日、令和2年3月22日に開催した<第1期ことふみ塾「百人一首を学ぶ楽しむ」第2回目>では、天皇の御製についてお話をしました。

結構盛り上がりました。

また、こういうお話をする機会が出来ればいいな、と思います。

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