新羅遠征をしたのは仲哀天皇のお后 神功皇后。なんて雄々しい!


初代 神武天皇が橿原の地で即位なさったのが、西暦で言うと紀元前660年。

日本の暦はその時から数えられるようになりました。

神武天皇御即位が皇紀元年です。

敗戦までの歴史教科書は、天皇の御代ごとに主な史実がまとめられていて、

歴も皇紀が中心。西暦はおまけ扱いでした。

海軍省の練習兵用歴史教科書の後ろの年表をみると一目瞭然。

これならわかりやすい。(笑)

第14代仲哀天皇の頃には朝鮮半島にも勢力をのばしました。

さて、

初代 神武天皇から第14代仲哀天皇(西暦192-200)までの約850年の間に、天皇の威光は日本の遠くの地方にまで及びました。

そして第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の頃からは朝鮮半島にも勢力を伸ばしていきました。

昔から、日本は海洋国家だったのですね。水軍といわれる海軍も強かったそうです。

当時の朝鮮半島は満州に起こった高句麗が朝鮮北部を占有し、南には新羅と百済が起こり、朝鮮半島は三分していました。

この時に任那もできましたが、国力が弱い為新羅にやられっぱなしだったのだそうです。

困った任那は、第11代垂仁(すいにん)天皇(紀元前29-紀元後70)に救いを求めてきました。

それで垂仁天皇は任那を助け、任那に日本府が置かれるようになりました。

これが、日本が朝鮮半島に築いた最初の一歩です。

『日本書紀』に記載があります。

船師(ふないくさ) 海に満ちて、

旌旗(みはた)日に輝き、

鼓(つづみ)吹(ふえ) 声を起こして山川悉(ことごと)に振ふ。

新羅王 遥に望みて以為(おも)えらく、

(中略)

吾れ聞く、東に神国有り、日本と謂う。

亦 聖王有り、天皇と謂う。

必ず其の国の神兵ならん。

豈(あに)兵を挙げて以て拒(ふせ)ぐべけむやといひて、

即ち素旆(しろきはた)あげて自ら服(まつろ)ひぬ。

「日本書紀」

神功(じんぐう)皇后による新羅遠征

国内は天皇の威光が広くいきわたっていたのですが、言うことを聞かない部族もいました。

九州中南部に住み長く大和朝廷に服属しなかった部族に「熊襲(くまそ)」がいます。

第14代仲哀(ちゅうあい)天皇が熊襲の反乱を御親征する途中に崩御されてしまいます。

そうしたら、

仲哀天皇のお后 神功(じんぐう)皇后は、熊襲の背後に新羅の援助があることを察し、自ら水軍を率いて新羅遠征にいかれます。

ちょっと、かっこよすぎやしませんか(笑)

神功皇后の水軍の前に、新羅は戦わずして降伏、毎年朝貢することを誓いました。

百済や高句麗も後に従い、熊襲の反乱も鎮まりました。

神功皇后は100歳まで長生きされた方なのですね。

上の歌川国芳の絵の最後に書いてあってびっくり。

話は逸れますが、仲哀天皇というのは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の子供です。

参考)

[海軍さんの歴史教科書]2.皇威の発展
2.皇威の発展 (1)内治の振興 皇大神宮(こうたいじんぐう) 神武天皇の御即位以来、歴代天皇の御聖徳により皇威はいよいよ伸張した...

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