『嚶鳴館遺草』(細井平洲:渡邉五郎三郎先生訳)~殿様に学問されてしまうと下の者は大変になると言われるのだがいかがなものか、と相談をうけた細井平洲の答え。


名君 上杉鷹山を導いた 細井平洲の「嚶鳴館(おうめいかん)遺草」の現代語訳(渡邉五郎三郎先生訳)を味わいましょう。

殿様に学問されてしまうと下の者は大変になると言われるのだが いかがなものか、と相談をうけた細井平洲の答え。

『嚶鳴館遺草』(細井平洲:渡邉五郎三郎先生訳 2006年福島新樹会発行より)

p.84-94

人君は民の父母と申しますので、御主君にも何よりも父母の心もちをお持ちいただくのが大切と考えられ、特に力を入れて御主君に学問に向かわれるよう取り計らったところ、時世一般の傾向というか、御主君が学ばれ道理がお判りになると、下の者はお務めが難しくなり、とても堪えられない。

今まで殿様の学問などなくても済んだものを、なんで余計なことをするのだなどと迷惑がっているので、お困りになっておられるとのこと、もっともなことと存じます。

これは世間一般のよくある考えで、元より浅はかな考えで申すことでありますから仕方ないともいえましょう。

しかし民の事を思う人智の徳も勇気がなくては実行できないのでありますから、勇猛のお覚悟をもってお取り組みになっていただきたいと存じます。

先ずよくお考えになってください。

領民が藩内に住んでいるのは、ちょうど人が家の中に住んでいるようなもので、家といえばだれも良い家には住みよく、悪い家には住みにくいものです。

そもそも その家というのは、棟(むね)、梁(うつばり)は上の道具、柱・鴨居(かもい)・戸障子(としょうじ)・唐紙(からかみ)などは中の道具、縁・敷居・根太(ねだ)・土台廻(どだいまわ)りは下の道具で、これら上中下の道具材木がどのように良くても、上屋根(うわやね)というものがなくては一日も雨露(あめつゆ)を凌(しの)ぐことはできません。

ですから、上中下の材木はたとえ檜(ひのき)・欅(けやき)などの上材(じょうざい)であっても、上屋根が雨漏(あまも)りすれば皆腐ってしまいます。

少しぐらい柱が曲がっており、戸障子が破れていても、上屋根さえ丈夫であれば、人はその家に住むことができます。

ですから上屋根はできるだけ丈夫にしたく、茅葺(かやぶ)きよりは葦葺(あしぶ)き、その瓦も銅瓦(どうがわら)であれば、いつまでも 破れて雨漏りする心配はいりません。

主君というのはこの上屋根であり家老 用人(ようにん)諸役人 平侍(ひらさむらい)は、上中下の諸道具であります。

どのように上中下の材木が良くても、上屋根が破れていれば家としては使えません。

ですから、上屋根が丈夫になるのを嫌うというのは無分別極まることであります。

国の大小の役人が、自分こそ床柱(とこばしら)である、大黒柱であるなどと威張っているうちに、屋根がボロボロに破れたらどうすればよいのか、結局は雨露にあたって腐るより仕方がないのではありませんか。

国家も上御一人の徳が高く、仁義の道が正しく行われたならば、下士(かし)領民すべて安らかに生活できることは目に見えるようなものです。

そのように世の中が明るくなるのを嫌うというのは、後ろ暗い心があるからであります。

貴方が今、御主君を名君になっていただきたいと思われるのは、上屋根が丈夫で下に住む人たちが安泰であれということであります。

現在、二百年も続いている有難い泰平な世に住んでおられるのは、天下の上屋根が丈夫であるお蔭であります。

今その上屋根の修復を嫌がり嫌う人情も、言うなれば泰平安楽の世に生まれ ご先祖が粒々辛苦(りゅうりゅうしんく)して築かれた家の中で何の心配もなく明るく暮らしていて、風雨(ふうう)露霜(つゆじも)の苦労をしていない人々であります。

このような人情風潮にお困りになって、この人々に学問をさせ 家が腐れ倒れたらすぐに風雨(ふうう)にさらされる道理を弁(わきま)えさせ、人も吾も力を合わせて家を崩さぬようにしようとされるのでありましょう。

また、棟木(むねき)や梁(うつばり)が弱ければどのように立派な上屋根も弛(たる)み、その棟木や梁(うつばり)が強くても それを支える柱が弱くては歪(ゆが)みが起き、柱が強くても土台廻りが腐れば家は傾き、土台が丈夫でも地盤が固くなければ、最後には覆(くつがえ)ることになるのです。

百姓は国の地盤(じばん)であります。

ですから昔から領地の百姓を子供の様に憐(あわ)れまれる君主を仁君と言い、その領地を預かって正しく取り扱う代官を良吏(りょうり)と言い、家の柱や戸障子のように要所要所に立ってそれぞれの役割を大切に勤める人を中臣といい、棟梁のようにその上に立って下が揺るがぬように重(おも)しになる人を立派な大臣というのであります。

君主は、上屋根が破れて下の道具が濡れ腐らぬように心がけられることであります。

全て人は他人の意見や教訓をよく聞けば、たとえ過ちがあってもそれを救い留めることができますから、昔の君主は諫諍(かんそう)の臣を宝のように大切にされたのであります。

然しながら、諫諍(かんそう)の臣を用いることができるのは、もともと君主自身の徳が備わっているからで、道理に暗く無理を押し通すような君主はどうしようもありません。

そういうわけで、昔から立派な諫諍(かんそう)の臣はありながらその諫諍を受け入れずに国を滅ぼした君主は沢山います。

殷(いん)の終わりにも箕子(きし)・微子(びし)・王子比干(ひかん)・膠かく(こうかく)などと立派な大臣が揃っておりながら、君主の紂王(ちゅうおう)がそれを用いない時はお打ちようもなく、みすみす殷の世は亡びたのであります。

今、高貴の立場にある君主自身が是非邪正(じゃせい)の分別(ふんべつ)がない時は、下の者は歯噛(はが)みをし手を握りしめながら君主の無分別に随(したが)い、破れ屋根の下にある家と同様、一緒に朽ち腐っていくより仕方ないのであります。

そこで君主自身が恐れ慎んで国を守られるようにというところから、その道理の分かる学問をおすすめするのであります。

ですから、君主が道理の判った名君になられますのは、領民全体が心身共に幸せになる大元(おおもと)であります。

これを迷惑などと考える人は話にもならない大馬鹿者でありますので、お構いになることはありません。

すべて善政を布(し)きたいと思い立った時は、賢い道理の判った人がついてくることを目標にして、道理の判らない人に対してはそれぞれのやり方で応ずるべきで、その考えに捉(とら)われる必要はありません。

善を目的にして、そのできないものを教化することは、上に立つ者の大切な心得であります。

ですから、先ず主君が道理の判る名君になり、道理の明智の風が 高い山から吹きおろし下々(しもじも)の道理の判らない草木がその風になびき随(したが)うようになったならば、いつの間にか共々(ともども)に君主の明智を悦(よろこ)び有難がるようになるものであります。

「『嚶鳴館遺草』つらつらふみ 君の巻」

細井平洲『嚶鳴館遺草』

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