漢字や儒教は半島や大陸との交流が盛んになって入って来たというお話です


日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の子供である第14代仲哀(ちゅうあい)天皇、そのお后様の神功(じんぐう)皇后の頃、朝鮮半島との往来はとても活発になりました。

新羅遠征をしたのは仲哀天皇のお后 神功皇后。なんて雄々しい!
初代 神武天皇が橿原の地で即位なさったのが、西暦で言うと紀元前660年。 日本の暦はその時から数えられるようになりました。 ...

日本と交流をしたり帰化したりする人も増え、それによって日本の文化産業も発展しました。

第16代応神天皇の御代には、百済から王仁(わに)が召されてきて、論語や千字文(せんじもん)を献上し、日本に初めて儒教と漢字が伝えられました。

王仁(わに)

と聞いて、どこかで聞いた名前だなぁ、、

と思った人もいると思います。

郡山にゆかりのある有名な和歌が万葉集にあります。

安積香山影さへ見ゆる山の井の 浅き心を我が思はなくに

この安積香山の歌と対になっている歌が

難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花

安積香山と難波津のこの2つの和歌は、木簡の裏表に記されていて、和歌を習う人が最初に習う歌であることが、「仮名序」の中に書かれています。

この難波津の和歌を詠んだのが、王仁(わに)なのですね。

「安積香山」の歌と「難波津」の歌は、和歌を習う人が初めに習う歌なんですって。

「安積香山」の歌と「難波津」の歌は、和歌を習う人が初めに習う歌なんですって。
安積香山影さへ見ゆる山の井の  浅き心を我が思はなくに (前采女(奈良時代前期)/ 万葉集) 郡山っ子なら、だれでも知って...

さて、この時に伝えられた儒教の教えは、祖先を敬い忠孝の道を貴ぶ等、日本の道徳観ともとても似ていたので人々の間に受け入れられていきました。

その後、第29代欽明天皇(きんめいてんのう)の時に、百済から仏像や経典が献上されて儒教も伝わり、日本文化に同化浸透していきました。

勿論、漢字や儒教に留まらず、養蚕や機織り、鍛冶や醸造などの産業も盛んになりました。

そして、第16代仁徳天皇の時には農業も著しく発達しました。

第21代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の御代には農業の神様である豊受大神(とようけおおかみ)を丹波から伊勢に移して皇大神宮(こうたいじんぐう)の近くにお祭りしました。

この神宮が、伊勢神宮の下宮(げぐう)です。

皇大神宮というのは、三重県伊勢市にある伊勢神宮の二つの正宮の内の一つで「内宮(ないくう)」と呼ばれている宮です。

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