萬の苦を離れて此の真楽を得るを学問のめあてとす:中江藤樹


江戸時代初期に中江藤樹(なかえとうじゅ/1608-1648)という陽明学者がいました。

近江聖人と称えられていたそうです。

有名なこんな逸話があります。

ある武士が近江の国を旅していた時、大切なお金を馬の鞍につけたまま馬を返してしまいました。

悲嘆に暮れていたところ、その時の馬子が武士のもとに戻ってきて、お忘れ物ですと、そのお金をそっくり渡しました。

驚き感謝した武士は、お礼を渡そうとしますが馬子は受け取りません。

理由を聞くと、村に偉い先生がいて、その先生の教えだから受け取らないのだと言います。

その先生こそ中江藤樹です。

その武士は中江藤樹の弟子となり後に岡山藩の家老になりました。

さて、

中江藤樹に、このような教えがあります。

少し長いですが、一緒に味わってみましょう。

萬の苦を離れて此の真楽を得るを学問のめあてとす

迷える凡夫は性の善なることを知らず。

我が本心の好むところをば却って悪み、本心の悪むところをば却って好み、

自ら良知を欺いて従わず。

その危處を安とし、その禍を利とし、その苦を楽しむ。

禍福利害の分数あることを知らず。

富貴も願えば得るものと思い、貴賎も厭えば免るるものと迷いて、

外に願い、利を求むるを以て一生涯の務として、苔の海に沈むことを知らず。

君子の真楽を知らず。

却って学問は六ケ数窮屈にして、苦しめるものと思い、

また、学問せざれば世の渡られぬことかなどそしり、

才知に任せて機変の巧を事とし、

或いは俗楽にふけり、女色に溺れ、遊興を好み、殺傷を楽しんで人事を務めず、

怠惰放佚の働きを勝(あ)げていうべからざるなり。

又、口に任せて聖人の道をそしり軽しむ者多し。

およそ人間のするほどの事、聖人の教えに非ざるはなし。

是世人の誤に非ず。

今、聖学世に明らかならざるゆえなり。

哀しむべきのみ。

かく迷える凡夫も、善を好み悪を憎み、是を知り、非を知るの良知は、未だかつて亡びざるなり。

日用の間に発見す。

何ぞ自ら反みて我が心に恥ずることなきや。

孟子曰う、

恥の人に於けるや大なりと。

恥というは、人々固有の羞悪(しゅうお)の良知なり。

この恥心を存して人足らざるをもって恥とするときは、則ち聖賢に進み、

この恥心を失えば禽獣の城に入る。

聖賢に進むも、禽獣に入るも、ただこの一念にあり。

恥の人に於けること大ならずや。慎むべし、畏るべし。

彼れ迷える凡夫、恥づベきことを恥じずして、恥づまじきことを恥とす。

貧を恥じて富をみめとし、賤を恥じて貴をみめとし、

心の正しからず、身の修まらざるを恥じずして、悪衣悪食を恥とす。

高位高官に愚・不肖の人多く、仕合せあしければ、かしこきも下位にあり。

何ぞこれを以て栄辱とせんや。

–と言って、

人の本心は善にして悪なし。

親を愛し、兄を愛し、善を好み、悪を悪み、是を知り、非を知る、

是則ち固有の良知にして人々皆然り。

学問の道は他なし。

我が本心の好むところを好み、本心の悪むところを悪むのみ。

能く我が本心を明らめて、良知の好悪に従えば、心則ち快うして、仰いで天に恥じず。

俯して人に恥じず。

君子はこの理(ことわり)を能く弁え知る故に、本心の好悪に従いて、自ら良知を欺くことなし。

禍福利害の命あることを能く悟りて、富貴を願わず。貧賤を厭わず。

順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、常に坦蕩々(たんとうとう)として苦しめるところなし。

これを真楽というなり。

萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあてとす。

参考)
東洋的学風(安岡正篤著)

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